2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第7回 辻村先生 6月2日 1/6
イスラーム社会の家族 息子達の反乱
はじめまして。辻村と申します。私の担当はイスラームの家族ということで、副題に「息子たちの反乱」と書きましたけれども、今日は、イスラームの伝統的な家族とはどのようなものか、そして現在、どのような変化が起こっているのか、という話を自分の経験を基にお話したいと思います。
一口にイスラーム社会と申しましても非常に広い世界でございまして。現在の人口は14億人いるといわれています。もっとも集中する中東にはイスラーム諸国会議加盟国56カ国およびPLOがあり、エジプトやリビア、チュニジアなど北アフリカ一帯にも広がっています。今も紛争が続いていますアフガニスタン、イラン、イラク、ロシアの南方、さらには東アジアのマレーシア、バングラデシュ、インドネシアもイスラーム世界の重要な一角を占めています。
私は、エジプトで四半世紀以上に亘って発掘に携わってきました。発掘しておりますのは、王朝時代が衰退してギリシャ・ローマがそれに取って替わり、その後にキリスト教の一派であるコプト教の時代になって次のイスラーム時代になるまで続いた都市遺跡です。その遺跡のある村ではイスラーム教徒とコプト教徒が共に暮らしています。それからここ10年ばかしは、レバノンという小さな国の発掘にも参加しています。昔は中東のパリと呼ばれたくらい近代的な国家だったのですが、そのあとに内戦が長く続きまして、漸く80年代になって落着きを取り戻しました。この国はマロニー派というキリスト教の一派のほかにシーア派とスンニ派という二つのイスラーム教徒が混在するモザイク国家です。それから、聖地メッカを擁するサウジアラビアでは、2か月ほど考古学の調査を致しました。
ところで、日本には7万人くらいのイスラーム教徒がいるといわれているのですが、私たち日本人にとっては身近な存在ではありませんね。でも、この世田谷の近くには東京モスクがあるので、ご存知の方も少なくないのではないでしょうか。日本で最も早く作られたモスクは名古屋にあって、1931年に建設されました。それから、神戸にできて、3番目にできたのが東京モスクです。1930年代にこれら3つのモスクが建てられた理由には日露戦争が関わっています。この戦争に日本は勝ちました。そうしますと、それまでロシアに抑圧されていたトルコの人たちは大喜びしたわけです。日本が大国ロシアに勝ったということで日本への留学生が増え、人的交流も始まりました。1930年代の初頭には、イスラム文化研究所という研究組織が東京に設立され、これが日本における本格的なイスラム研究の拠点となります。こうした日本でのイスラーム熱が、大東亜共栄圏を構想していた政府や軍部によって絡みとられてしまって、積極的にそれらが利用されていく面がありました。このことは大いに反省しなければいけないことですが、しかし、草創期の研究者たちがそれまでヨーロッパに独占されていたイスラーム研究が偏見に満ちていることを見抜き、そこからの脱却を目指していた点は評価されるべきです。戦後は文献資料だけではなくて、様々なフィールド調査が活発に行われ、日本におけるイスラーム研究は隆盛をきわめています。けれども、そうした調査成果が日本人のイスラーム理解に十分寄与しているかというと、些か心もとなく思います。アフガニスタンに対するアメリカのやり方を無批判に支持し、9.11事件以降はイスラーム教徒に対する嫌悪感を露骨にみせた日本人は少なくありません。日本人に限らず、人はよくわからないものに対しては恐怖心を覚えます。偏見は払拭されないどころか、こうした事態に直面してますます強まったのではないでしょうか。