2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第7回 辻村先生 6月2日 2/6
イスラーム社会の家族 息子達の反乱
中東の国々を訪ねましても、私はあまり違和感ですとかカルチャーショックというものを味わったことがないのですが、サウジアラビアでは戸惑いを覚えました。空港でいきなりベールと共に、あの長い、黒服を着せられたからです。外国人だからといって、あるいは異教徒だからといって許してもらえないのです。女性は運転もできません。おまけに女性一人ではタクシーにも乗れません。大通りも一人で歩けない。父親、兄弟、あるいは主人、息子と一緒じゃないと歩けないのです。デパートは男性の入場時間と女性の入場時間が異なり、銀行は男性用入口と女性用入口とに分かれています。女一人ではレストランに入ることもできません。家族と一緒だったとしても、他の男達に姿を見られないようにカーテンの向こう側へ案内されます。戸惑いは覚えましたが、面白い経験をさせていただきました。
首都のリヤドだけでなく、各地方博物館に付設してある宿泊施設を借りながら、館長やスタッフに遺跡を案内していただきました。おうちに招待されることもありました。家は男性スペースと女性スペースは分かれていますが、私はどちらも入ることができました。女性部屋に入ると女性たちは実にくつろいだ様子です。派手な色のドレスを着て、結んだ髪を解いて、楽しそうにおしゃべりしています。教師や医師など、女性の社会進出も進んでいて、家に閉じ込められているといった印象は受けませんでした。
気になることを第2夫人に聞いてみました。彼女は別に強がっているようすもなく、妻が複数いれば、それだけ食事を作る回数も減るし、新しい嫁をもらう度に花嫁と同じだけの金製品が妻たちに贈られるので悪くない制度だと説明してくれました。しかし、私にもう少し語学力があれば、彼女の複雑な感情に立ち入ることができたかもしれません。イスラーム諸国の中でもチュニジアやトルコは法律で一夫多妻を禁じています。そうでないシリアやエジプトでは複数の妻を持つ男性はいますが、2人でさえ持て余しているのが実情です。ですから、サウジアラビアで、かなりの男たちが複数の妻を持っていることは驚きでした。ムハンマドが生きた時代は戦争で命を失う男たちがとても多く、未亡人となった女性を救済するために多妻を許したのであって、コーランは男のわがままを認めたわけではありません。孤児は大切にしなさい、と何度も書いてあるように、身よりのない者を保護することがその目的でした。しかし、複数の妻たちに等しく与えられるだけの経済力をもつ男性は限られており、それで平等と納得するほど女性は寛容ではないように思うのですが、どうでしょうか。
ある訪問先では、みんなで夜の砂漠に出かけたことがあります。1時間ばかし車を走らせると岩山砂漠にかすかな光が見えました。大きなテントが張られていて、20人ぐらいの男達がパンを焼いたり、ミルクを沸かしたりしています。私たちを案内してくれた男性は顔役らしく、男達のあいさつを受けながらテントの奥のほうに進んでどかんと座り、私たちも彼に続いて座って、もてなしを受けました。しばらくして一人の男が小さな太鼓を持ってきました。砂漠に太鼓のリズムが響き、それに朗々とした男の声が加わります。恐らく、かつて彼らが砂漠の中で移動生活をしていたときの話を若者たちに語って聞かせていたのでしょう。そうした遊牧の記憶というものが伝えられている情景は、この国の不愉快を補って余りあるように思いました。