2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第7回 辻村先生 6月2日 5/6
イスラーム社会の家族 息子達の反乱
結婚式の当日は、親戚や近所の人々がお祝い金を持って駆けつけます。新郎の実家では食事が振る舞われ、新居の隅々まで誇らしげに見せてくれます。こちらとしては有難迷惑なのだけれども、ピンク色の布団で覆われたダブルベッドなどは大いに自慢したいもののようです。初夜は処女であった証しを見せなくてはなりませんし、男の首尾がよくなければ友達あるいは親族が村の祈祷師を呼びに行きます。家族、親族共々、緊張の一日です。
出産は、自宅で産婆さんに取り上げてもらっていました。お産に立ち会った時、妊婦は天井からつり下げられた縄を持って力んでいました。座産というのでしょうか。でも最近は、初産の場合にはほとんどが病院で出産するようになりました。
婚約→結婚→出産という順序を踏まずに女性が妊娠してしまったらどうなるのでしょう。日本では珍しくなくなった、いわゆる"できちゃった婚"ですが、イスラーム社会では大変な事態です。90年代の終わりにこういう事件がありました。妊娠が婚約前に露見してしまったのです。そのために一族同士、家と家との闘いで殺人事件が起こりました。女の子も殺され、男の子も殺されました。これは"名誉の殺人"と呼ばれています。個人の名誉ではなくて、家の名誉をかけて殺人が行われ、それに対しては警察も見て見ぬふりです。それほど厳しい制裁が加えられます。
人生最後の儀礼というとお葬式です。イスラームの場合、死亡後24時間以内に埋葬しなければならないので、親族は急いでその準備に取り掛かります。マイクを通じて死亡が村人に知らされると、両親、親族、近隣の人々は男女別に用意された場所に駆けつけます。家族にお悔やみを言ったあとは、コーランの流れる部屋の中で静かに故人を偲びます。そこでは煙草や紅茶がふるまわれて葬式は終わります。埋葬してから40日後に家族たちは墓にお参りします。仏教で四十九日の法要とありますけれども、それに似た習慣ですね。
以上が一般的なイスラーム教徒の一生と言えますけれども、現在の農村で家族の暮らしを考えるとき忘れてならないのは、夫の長期にわたる出稼ぎです。イラン・イラク戦争以前はイラクへの出稼ぎが非常に多かったのですけれど、その後はアブダビだとかリビアに集中しています。教師やエンジニアとして渡航するのはごくまれで、ほとんどは農民としての出稼ぎです。物価の上昇、息子や娘の結婚費用の高額化は、もはや農業収入では賄えないほどに切迫しています。息子が何とか畑仕事をこなせるようになり、家族の面倒をみられる年頃になると、父親は息子の結婚費用を出してやるために海外に出稼ぎに行きます。出稼ぎは2年、3年と長期にわたります。フィリピン女性、インドネシア女性とか、女性が出稼ぎに行く国が東アジアの南方にはありますけれども、中東ではエジプトも含めて女性の出稼ぎはまずあり得ません。父親は出稼ぎ先で共同生活をしながら生活を切り詰めてお金を貯めます。そして、貯まると帰ってきて息子を結婚させ、自分は隠居します。次は息子が大黒柱になりますが、お父さんがそうやって苦労してつくってくれたお金で結婚できたのですから、隠居した後でも父親の権威は保たれていました。