2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第8回 辻村先生 6月9日 2/5
古代エジプトの家族像 アクナテン王の反乱
新王国時代第18王朝の創始者アハメスというファラオがいます。アハメスの跡を継いだのは息子のアメンホテプⅠ世。そして、アメンホテプⅠ世の妹2人のうち、上のほうのアハモスという王女と同父異母のトトメスⅠ世が結婚することによって、こちらに王位が移ります。つまり、アハメス、アメンホテプⅠ世、トトメスⅠ世という順番で王位が継承されます。そして、アハモスとトトメスⅠ世との間に生まれたのがハトシェプスト王女です。それから、彼女の妹のムトンネフェルトという王女もトトメスⅠ世と結婚いたします。つまり、姉妹して同じファラオに嫁ぐということになりました。この二人の間に生まれたのがトトメスⅡ世です。この王子(トトメスⅡ世)とハトシェプスト女王が結婚をいたします。父親は同じで、母親は別ですが姉妹という、非常にややこしい関係です。トトメスⅡ世とハトシェプストの間に生まれたネフェルラー王女は、トトメスⅡ世とイシスという女性との間に生まれたトトメスⅢ世と結婚することになります。このように、兄と妹といっても同父異毋の兄妹間で結婚しているケースが多いことがわかります。
トトメスⅡ世の後、トトメスⅢ世に王位は移りますが、トトメスⅢ世はまだ幼いファラオでした。とても政治ができるような年ではありません。それで、男まさりで気の強いハトシェプストが摂政となって政治を行います。男の服装で王位を継いだ女王の彫像が残っています。また、ルクソールの西岸にはハトシェプスト葬祭殿という壮麗な建物が保存されていて、有名な観光スポットになっています。ハトシェプストを含め、古代エジプト王朝では4人の女王が王位に就きましたが、プント国との紅海交易路を開拓するなどハトシェプストほど強力な政治を行った女性のファラオはいないでしょう。
力強い女性も大変よろしいのですが、いっぽうで、ファラオとともに描かれた王妃たちの優しい仕草にも私たちの心は引き付けられます。ここに見るように、エジプトの彫像や浮彫りには、向かって左側にファラオ、右側に王妃という構図が多く、王妃がファラオの腰に手をやったり、あるいは手をつないだり、腕を組んだりしています。古王国時代からこうした夫婦のあり方、夫婦の表現はずっとありますが、トトメスⅢ世のひ孫であるアメンホテプⅢ世の息子、アメンホテプⅣ世とその妻でありましたネフェルティティの時代に最も顕著となってまいります。アメンホテプⅣ世、後に名前を変えまして自らアクナテンと名乗ったこの王は、それまでの伝統的な多神教の世界を否定し、世界で初めて一神教を唱えた人物です。アクナテンとは「太陽神アテンに気に入られし者」の意味です。彼は神々に守られた王都テーベから北に約200キロ、中エジプトの東岸に位置するアマルナにアケトアテンという新しい王都を造ります。アマルナの位置を見ておきましょう。
太陽神のみを祀るという王の決意を促したのは、傍若無人に振る舞うようになったテーベ神官団への憎悪でした。しかし、一方では王妃となったネフェルティティの存在が大きかったと見る意見があります。そのような見方は、ネフェルティティが西アジアにあったミタンニ王国からやってきた異国の王女だったので、エジプトの宗教を嫌ったのだと説明しています。この立場に立つ人は、アメンホテプⅣ世の父であるアメンホテプⅢ世の王妃であったティもまたミタンニから連れてこられた女性であるといいます。吉村作治先生の書かれた『古代エジプト女王伝』という本を読みますと、吉村先生もその立場のようです。ところが、最近マスコミにもよく登場するエジプト考古庁のザヒ・ハワス長官が書かれた本の中では、二人の王妃が異国出身ということはあり得ないと断じています。大英博物館の古代エジプトに関する辞書にも、2人の女王はエジプト人であると書かれていて、異国からやってきたという説には否定的です。