2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第8回 辻村先生 6月9日 4/5
古代エジプトの家族像 アクナテン王の反乱
男性は20代の前半、女性は14歳--15歳くらいで結婚していたようで、私が発掘しているエジプトの田舎でも、最近までそんなものでした。「私は○○を嫁とするために、彼女の父親に贈ったもののリスト」と書かれた史料がありまして、婿になる男が花嫁の父親にいろんなものを贈るという婚資の風習も王朝時代からあったことがわかります。婚約という言葉が出てくるのは紀元前の7世紀ですから、王朝時代の末期です。娘の結婚には父親が大きく関与するとはいえ、まずは本人同士の恋愛があったことを窺わせる史料があります。『チェスタ・ビーティ・パピルス』という史料を読んでみましょう。
「私の妹と最後に会ってから7日、そして私は病に冒された。医者が私のもとに来ても私の心は彼らの治療を受け付けない。どんな処方せんよりも私の妹のほうがいい。彼女を見ただけで私は良くなる」。まさに恋の病です。こんなのもあります。「私の一番の気掛かりは私の兄への愛。彼を思うと私の心は黙っていられない」。ここで、恋人を兄とか妹というふうに呼んでいるのは、古代日本と同じですね。万葉集で、わが兄(せ)、わが妹(いも)と出てくるのは恋人あるいは夫とか妻のことで、このパピルスに載っている兄とか妹というのも恋人のことです。では恋人は全く他人かといいますと、そうでもないのです。王家の場合に近親婚が多かったと言いましたけれども、実は一般の結婚におきましても、一族の中での結婚、いとこ婚ですとか、伯父・姪、これらはタブー視されるどころか、むしろ喜ばれました。それは先週もお話ししましたように、イスラームの結婚の場合も同じです。また、不義密通は罪でしたが、大概は離婚で決着しました。離婚や再婚というのは決して珍しいことではありませんでした。夫の浮気で離婚に至った場合や夫が死亡した場合、妻は夫との共有財産の3分の1をもらうことができましたから、離婚してもすぐに経済的に困るという状態にはならなかったのです。
具体的な家族を配布史料でみてみましょう。中王国時代の小地主であるヘカナクトという男の家族です。ヘカナクト、妻イウテンヘテブ、そして5人の息子がいまして、うち1人は既婚者です。それに2人の娘とヘカナクトの母イピ、母についている使用人のセネン、(イウテンヘブの使用人)、ヘテペト、ヘカナクトの部下とその家族、これらがみんなで大きな家に住んでいました。ヘカナクト夫妻の子供は息子5人と娘2人の7人です。だけど、ここには単婚家族以外の人々が一緒に住んでいます。ヘカナクトの母親も一緒に住んでいることに注目してください。
もう一つ、同じ中王国時代、カフンという都市に住んでいた兵士の家族。最初は夫ホリ、妻シェプセト、息子のスネフェルの3人でした。やがて家族が増えます。ホリの母親とホリの未婚の妹たち5人が同居するようになります。その後、ホリが亡くなって、息子のスネフェルの代になります。スネフェルと母親のシェプセト、それから、スネフェルから見れば祖母と叔母3人が同居しています。時間の経過からすると、最初は3人の核家族、その後、ホリの母親が娘を連れてやってきたということは、ホリの父親が亡くなったのでしょう。それで9人の家族になる。今度はホリが亡くなってスネフェルの代になった。未婚の叔母たちのうち、2人は結婚してここから出ていったと思われます。このような家族の歴史を復元することができます。