2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第1回 梶原先生 4月13日 2/10
アジアの苦しみ、アジアの幸せ
とはいっても文化人類学では、悪く言えばドサまわり中心ですので、その中でアジアを研究するというのはそれほど困ったイメージではなかったんですが、それでも滑稽なことに、人類学の中でもアジア差別というか、アジアに対するある種の軽んずる傾向というのはございました。これは、イギリス人類学の伝統がアフリカ研究でしたので、アフリカを研究するのは人類学の中では一流とみられていました。
40年ほど前に実際に現地に行って、フィールドワークのまね事のようなものを始めた時に、わたくしは東南アジア中心でしたが、現在のような東南アジアの社会の激しい変化については予想もつかなかったというのが正直なところであります。
もちろん、経済発展の結果というものには、メリットもデメリットも、功も罪も共にあるということが確かなわけで、手放しで喜ぶということではまったくございませんが、当時のアジア社会は、やはり多くの困難、そして貧困と、それからある種のカオスといいますか、混沌とか、仕組みができていないというイメージが、実際にも強かったわけですが、30年余を経て、だいぶアジアのイメージが変わってきたということは、皆様もお感じになっていらっしゃるのではないかと思います。
そういうことから、これまで、アジアについては、苦悩や苦しみが中心に論ぜられました。それも無理からぬというか当然のことであったわけですが、少し視点を変えて、経済発展の洗礼を受けるなかで今度は幸せのほうを考えてもいいのではないかと、そういう時期がきただろうというのが、ひとつ、この企画の背景にある考え方でございます。
ただし、やはり一方では、アジアの経済発展の結果、極端な経済主義、あるいは拝金主義など、金もうけできればもうなんでもいいというような気配も、アジア社会においていこの20年非常に強くなったと思っております。
それに対して、幸せという問題を提起するのは、確かにお金があって幸せだということもないわけではありませんが、新しいかたちの社会像を模索していくというような意味もあるのではないかというのが2番目の考え方でございます。
それから3番目は、なんといいましても幸せという議論は非常に難しいというか、かたちのないものを追いかけていくような話ですので、幸せを目に見えるようなかたち、あるいは、われわれが取り扱いのできるようなかたちにもっていく。そうするとことによって幸せというやや挑戦的というか、社会科学にとっては対処しにくい話題について、ご一緒に、新しいことを考えてみたらどうだろうかというのが3つ目の背景にある考え方でございます。
もちろん、幸せについては、それぞれ、逆にいえば皆様方がエキスパートでいらっしゃるわけで、ご自分の幸せ、ご家族の幸せ、あるいはもう少し広い範囲の幸せ、あるいはそれがずっと大きくなって世界とか人類の幸せということについて、いくばくか、あるいはある瞬間には皆さんお考えの話題でもあるわけです。ですから、4番目になるかもしれませんが、そうした点をそれぞれお考えいただくような機会になれば幸いだと思っております。
もうひとつ、やや直接的なきっかけとして、たまたま、昨年3月にブータンに参りまして、王立ブータン研究所を訪問しました。皆さんご存知のように、ブータンはもうだいぶ前から、GNHを国の大目標としております。これは、グロス・ナショナル・ハピネスのことで、国民総生産GDPに対して国民総幸福量ということになります。つまり、経済的な指標だけではなく、人間を取り巻く環境とか教育とかそうしたものすべてを入れて、九つの大きな枠組みの中で、国民がどのくらい幸せであるかということを測定し、幸せのの観点から国家や国民の状況を捉えてゆこうというものです。