2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第1回 梶原先生 4月13日 8/10
アジアの苦しみ、アジアの幸せ
そうすると、いつもの年より取れ方が悪かったりすると、賃金が安くなったりあるいは未払いになったりということで、ものが全然ないわけではないが、お金を出して買えなくなってしまいます。あるいは、局地的にそういう凶作が起こると、周りの村にはお米があっても、それがこっちにこない。いろんな理由があるでしょう。政治的な理由の場合もあるでしょうし、それから、たまたま運悪く洪水があって、トラックが走れないとか、あるいは、人が運べないような状況が考えられます。つまり、輸送手段であるとか、社会的公正さとか、社会的分配の機能が働くか否か。それから、政治的な争いで、あっちには食料をまわさいないということもあるわけですね。あるいは、民族の間で紛争があれば、自分と敵対する民族のほうにはなるべく食料をあげない、というようなこともあります。そうした様々な要因が合わさって餓死者が出るということが、おおよその場合真実であって、単に農作物が取れなかったということで大飢饉が起きるとは限らないのです。
実際、センの研究を読んでみますと、ほとんどの場合、そうなのです。公正な分配や人権の確立ももちろん社会の安全度に大きく関わってきます。不安定な社会では、食べ物はあっても、みんなの口に入らないということがいくらでも平気で起こるのです。
メディアの力も飢饉を防ぐ上で非常に重要なわけです。メディアが政府を正当に批判できないと、政府も真面目に動かないわけです。例えば、ある地方になんらかの理由でお米がいかないとき、これ、おかしいじゃないかということを、どこか社会の中で明らかにしなければいけないわけです。メディアが十分でないと、当事者はわかりますけども、他の国民がわからないとか、あるいは外国の人は知らないということが起こる。その時に、メディアの力というものは、場合によっては非常に大きな意味を持っています。ですから、メディアや報道の自由が保障される必要があります。つまり、アマルティア・センが言っていることは、開発や発展と、ある種の民主主義が共存するようなかたちが望ましいことになります。
ご存知のように、多くのアジア社会において経済的に早い時期に発展した社会、日本、とくに当時の韓国やシンガポールなど、一時期、開発独裁とか、権威主義体制ということがよく言われました。
その代表的な人が、シンガポールのリー・クワン・ユー(李光耀)です。リー・クワン・ユーというのは、国民の政治的権利とか社会的権利というのを多少押さえるかたちで、あまり文句を言わせなかった人です。その代わり、従いてくれば経済の見返りはたくさんあるよ、という政策を取りました。彼は成功したのであまり悪く言われることはありませんけれども、そういう存在だったんです。
それから、フィリピンのフェルディナンド・マルコスも大きな枠組みの中ではリー・クワン・ユーと似ているといわれます。ただし、リーとちがって、マルコスは成功しませんでした。大統領制で権力を中央に集中させて、そしてある種の恩恵を施すようなかたちで経済発展をやっていく。その代わり、政治的には文句は言わさんというようなことがありました。それから、インドネシアのスハルト大統領の体制もよく似ていました。
そのへんは、一時期、非常に力を持ったわけですね。政治学者でも経済学者でも、そうしたものに対して、批判する人もたくさんおりましたけれども、やっぱり、結果を見ると、リー・クワン・ユーなんか評価をせざるを得ないという意見も強かったです。
センは、それにも噛みついているんですけど、非常におもしろいことを言っています。政府批判は、リー・クワン・ユーにとっては社会的なある種のノイズ、騒音なわけです。騒音を閉ざすことによって経済は発展したと、リー・クワン・ユーは言っているわけです。それに対し、センが言っているおもしろいことは、リー・クワン・ユーの下で、シンガポールは確かに、非常な発展を遂げたことは認めます。しかし論理的な可能性として、リー・クワン・ユーが、もし逆に、民意を閉ざすとか、議会を言うこときかせて自分の思う通りにやるということをやらなかったら、もっと発展したかもしれないと。それは誰にも言えないわけですね。半ば冗談みたいな話ですけれども、つまりわれわれは、あの時代のリー・クワン・ユーを考えた場合に、厳しくやったから経済が発展したという説は、本当にそうかどうか、誰もちゃんと実証したことはないわけです。たまたま結果論で、リーは優秀な政治家だと、あるいは、優秀な社会計画家だと思いますけれども、それしか方法がなかったかどうかというのは甚だ疑問です。