2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第2回 梶原先生 4月20日 12/12
夢みるアジア
例えばそういうところで、理想ではなくて、単純な快適性でいいと思うんですが、それを追求していくという作業をやらないと、一挙に、ブータン的に幸せとは何だろうということを政策的に実現するというのは大変難しいと思います。もう少しそういう点で、工夫をすべきではないかと強く感じております。それがないと、逆に個々人のささやかな幸せというものも国家がどこかで担保すると。干渉するということではなくて、その前提条件をつくっていくことが行われないのではないかという気がいたします。
実は、今申し上げたような例はささいなことではありますが、個人が疲れずに旅行が完了するというか、ホテルまで行けるということは意外と大きな面もあります。それは利用者に対してそういうサービスを提供するわけですから、この利用者というのは日本人に限らないわけですね。国籍とか性別、年齢を問わず、極めて普遍的な人間の集団、集団といってもその中に個々人がいるわけで、そういう人に快適さを提供するということであるわけです。一国民主主義とか、あるいは一国の経済を超えたつなぎ目にそういうものが存在しているということで、幸せが広がるという意味でも、快適さを広げるという点でも何かを結んでいるネットワークの結び目みたいなところに注目するという作業が、さらに必要になるのではないか。
幸せというと「うちは幸せ」。これは保身にもつながる悪いところもあるわけですけれども、もちろんそれも大事なんですけれども、内向きになってそこだけの幸せということになります。今申し上げた、象徴的な例では、よそ者もいるし、多様な人もいるし、肌の色も髪の毛も違う、性も違う人たちが寄り集まるところで快適さを提供するというのは、幸せというものをひとつ大きな文脈の中に置き換えると考えてもいいのかもしれないと思っております。
幸せの本質的な論議を、一方では哲学的に行うことも重要ですが、幸せというのは難題というか難しい問題についてはそれぞれ、いろんな状況の中で幸せというテーマを置いておいて問うていくというのでしょうか。そういう作業の積み重ねが一番必要、つまり、今になっておかしな話ですが、今回の仕事をお引き受けして、幸せというのは、よくよく考えていい課題だという気がしてまいりました。
それぞれ、皆さま方の幸せについてお一人ずつお話を伺うようなチャンスがあれば人類学者の端くれとしては面白かったと思いますが、一方的にこちらがお話しするだけになりました。
2回にわたりまして、ご清聴をありがとうございました。