2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第2回 梶原先生 4月20日 3/12
夢みるアジア
この映画をさまざまな国の学生に四方田さんが見せたところ、アジアの人たちは、日本人も含めて、無理なく肯定したというか受け入れて、「そういう話はあるだろう」と了解した。ポーランドやドイツの学生に見せたら、「こんなことはあり得ない」という両極の意見が出たそうです。
幸福を語るというのはいったいどういう状況で、どういう意味合いがあって、ということは、先週お話しいたしました。少し長い近代という時間の幅で見ると、これもまた興味深い。つまり、この間お話ししたアランの『幸福論』が代表するような、幸福をどうやって手に入れたらいいかという日常の処世の技術が語られるようになったのは、近代以降の出来事であるのではなかろうかと思います 。
そこで、ブータンです。ブータンの国民総幸福という考え方、実際にそれがどんなかたちで実践されているかというのは、実際に当事者にもインタビューしましたし、これについて書かれた本を何冊か読んだり、政府の報告書を読んだりしました。けれども、意外と分かりにくい話ではあるのです。
関心のおありになる方はたくさんいらっしゃるでしょうが、ご存じのように、ブータンは人口が70万人を超えるぐらい。ヒマラヤの南斜面にある、小国といえば全くの小国で、広さは大体九州と同じぐらいと言われております。
1960年代まではある種の鎖国政策を取って、外国からの文物をなるべく入れないという方針を採っていた国家であります。南はインドに接し、北はチベット、今は中国になりましたが、伝統的にはチベット仏教の影響を非常に強く受けたり、あるいは交易の相手も南側よりは北側、つまり急峻な山や峠を越えなければいけないのですけれども、北側に開かれていた国という認識で、歴史的にはそう間違っていないのではないかと思います。
ところが、1960年代に中印国境紛争があったり、それ以前にチベットが中国に併合されるという事態があって、ブータンは南向きに変わっていったわけです。つまり、連携する相手としてはインドを選択せざるを得なかったということです。
ブータンの経済的な収入源の40%は、インドに電気を売った収益です。インド、あるいは国際機関の援助によって、急峻な土地で雪解け水がいくらでもあるわけですから、水力発電所をつくって発電しています。
ブータンの国内の電力消費は極めて少ないので、余りを全部インドに送電線で送って電気を売って、全体の約40%の収入が得られている。収入の3割ほどは農業をはじめとするその他のブータンの国内産業によって得られている。残り3割が、国際機関の援助です。ですから、国家財政の3分の1近くが外国からの援助。そうなると、全くひもつきで国家の体をなしていないように思えるのですけれども、これだけの援助をもらっていて、ある種の自立性が強いという、そこが極めて不思議な国といっていいと思います。だからこそ、国民総幸福のような新しい手立てとか概念をつくり出していったのだろうと思います。
ご存じのように、この国民総幸福というのを最初に言い出したのは4代目のワンチュク国王で、今から約40年前に始まったと言われております。最初に話が出ましたのは、1972年だったと思います。スリランカのコロンボで第5回非同盟諸国会議がこの舞台でした。このごろはなくなってしまったのか、はやらなくなりましたけれども、東西冷戦のさなかにアメリカにも肩入れしない、ソ連邦にも肩入れしない、ある意味で中立、でも、どちらかというと進歩的な思想が強かったと思いますけども、非同盟諸国が存在しました。