2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第2回 梶原先生 4月20日 8/12
夢みるアジア
ご存じのように、ブータンは先代国王が51歳ぐらいで引退なさって、今の5代目の王様は若い方です。選挙もやりましたし、近々、どうなるかまだ分りませんが、立憲君主制をやめて、完全に議会制民主主義に変えると、王様自身が言っていらっしゃるわけです。先代の王様はある時点でやめてしまわれたし、憲法の中に定年制、王様の定年というのがある。王様の定年というのは非常に珍しいケースで、王様とかローマ法王は亡くなるまで王様だし法王なわけですね。そこにある種の独特な権威があって、余人をもって代え難いんですが、ブータンはそこが不思議です。ブータンが考えていることというのは、一方では伝統文化を守り、自然の中に人が素朴に生きているというようなイメージがありますが、他方ではある種の合理性といいますか、政策的合理性を非常に大胆に追求して、その2つが共存しているようです。その、いずれもがある程度成り立っているという不思議さが、わずかな滞在でしたけれども非常に印象に残っております。
地政学的には、当然のことながら、先程申し上げましたように、1960年代からインドと結び付く以外にない状況にあり、インドのほうも国境紛争その他でブータンが緩衝地帯として最大の重要拠点であるということで、ブータンに対してはどんどん援助をしますし、ブータンのインフラストラクチャー建設、インドのいわゆる工兵隊ですか、軍の道路をつくったりする工兵隊がブータンの国道を全部整備しています。そこで働く労働者もインドから連れてきています。先ほど申し上げた教育でも、英語教育、小学校1年からやっていますけれども、この先生も、インドから来た若い人々で、インドとは切っても切れない関係にあります。
ただ、インドとブータンも、対中国ほどではありませんが、非常に緊張した関係にあります。ご存じのように昔、ブータンの隣にシッキムという王国がありました。シッキムは国内の内紛で2つに割れて、それに乗じてというと言い過ぎかもしれませんが、秩序安定のためにということで、インドの保護領的なものだったんですけども、完全に併合されてしまった。その経験というのを、ブータンの人は間近で見ていたわけです。この間申し上げましたように、ブータンの指導層の子弟は当時のシッキムのカリンボンとか、インドのダージリンとか、そこの高等学校にみんな国費で送られていたわけです。その地方に行くとブータンハウスというのが今でもありますけれども、そこを拠点として将来有為な若い人たちが英語を媒体にして勉強することをずっと続けてきた歴史がございます。
シッキムの轍を踏んではいけないというので、インドに対してもある種の距離感というのでしょうか、これがまた非常に上手に保たれているという印象も持ちました。インドもブータンに対しては腫れ物に触るようなところがあって、たまたま出席したインドとブータンの会議でその点を強く感じました。インドも本気で一流の人材をブータンの国際会議に送り込んでいまして、印象的でした。国連環境計画のトップとか、京都議定書にかかわったインドの官僚とか、非常に著名なインドの芸術家をぼんぼん送り込むということを目の当たりにしました。インドの気の使い方、お金の使い方、なかなかのものではないという印象を持ちました。ブータン側も、それに見合った対応でした。
ブータンの試みは1つのアジア発のGDPに対する批判といってよいでしょう。経済を指標として人間の幸福を定めるというのは分かりやすい方法ではありますが、それでは不十分だという議論はずっと続いておりました。ただこの国民総幸福の指標化は、40年たちましたが、時間の割には、まだ初期の段階かもしれません。けれども、これだけ実践的に試みを行っているのは稀有の例であり、そのために注目を浴びているケースといえます。
同じような試みとして、ご存じのように、バングラデシュのグラミンバンクも、ユヌスさんがノーベル賞を取られたので有名になりました。この試みも、スティグリッツとかセン、昔ですと『スモールイズビューティフル』という本を書いたシューマッハ、こうした人たちのアジア的現実に立って経済至上主義による金銭追求の幸せとは異った価値観の追究とつながっています。こうした実践の例がグラミンバンク、あるいはバングラデシュ最大のNGO法人のブラックです。