2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第5回 邢先生 5月18日 1/5
解放後中国の変化と幸せ
<はじめに>
最近、世界で幸福感や幸福指数の議論をよく行われている。しかし、幸福とは一体何であろうか。人によって言っていることが違う。それが当たり前だと言えば、当たり前だと思う。国によって、地域によって、民族によって、生活レベルや考え方などがかなり違うので、同じ基準で幸福を語るのが無理であろう。
現在、世界で8億以上の人が車を持っている一方、9.8億余りの人が食うや食わずの生活をしている。また、10億ぐらいの人がダイエットをしているが、12億ぐらいの人が栄養失調になっているとの報道がある。貧富の差も想像に絶するほど存在しており、アメリカでさえ貧富の差が360倍もある。
私に言わせれば、幸せになるためには平和で安全に暮らせる環境が必要不可欠である。それを確保してから、元気で安定安心した生活を送れることこそ、本当の幸せだと思うが、しかし、世界70億近くの人をそのような生活を送らせることは至難の業である。次に解放後の中国の変化と発展を通して中国人の幸せを述べてみたい。

1.解放前の中国
中国は長い歴史の中で、世界に君臨する超大国であったが、19世紀のアヘン戦争以降、列強の侵略を受けて、国力が急速に低下し、国の存亡が脅かされる半植民地になってしまった。マルクスがかつて「中国はアヘン戦争で一夜にして天国から地獄に落ちた」と言われたことがある。アヘン戦争(1840年)以降の約100年間、西洋列強の圧迫により、植民地・半植民地の地位に落とされ、ほとんど内憂外患、自然災害に巻き込まれ、中国人の生活は言葉で言い表せないほど苦しかった。
中国人の歴史学者の統計によると、1840〜1949年の間に、西洋列強、帝国主義は中国に押し付けた不平等条約は745件もあった。それまでの中国は最悪の状況であった。

2.解放後の中国
中華人民共和国は、1949年中国共産党が指導した農民革命がアメリカ支持の国民党政権を打倒してから設立した政権である。1949年10月1日、中華人民共和国の成立により、それまでの不平等条約は全て無効にされた。
解放された時の中国は東西冷戦の国際環境の中で、アメリカと敵対関係であった。政治面で「ソ連に一辺倒」の政策を講じ、経済面でも、ソ連を手本に、社会主義を建設する方針を取った。
60年間余りの中国の全過程は、大まかに前半の30年と後半30年の2段階に分けられる。前半(1949〜1978年)は「革命」が柱となり、後半(1979〜2010年)は「改革」が柱となった。前半も後半も、業績が少なくなかった。前半は社会の改造、農業の発展、工業の成長を遂げた。後半は市場経済の構築、改革開放の推進、著しい経済の発展をさせてきている。
確かに中国人は国家独立を取得して、経済の発展も遂げてきた。しかし、幸せな生活を送れるようになったわけではない。経済建設計画の挫折、相次いで勃発した政治運動などにより、常に不安定な政治状況にあった。中国の経済は世界経済発展の潮流に乗ることができず、中国は依然として世界で最も貧困な発展途上国の1つにとどまっていた。
この貧困状態を一変させるきっかけとなったのは、1978年中国共産党第11期3中総会(12月18日〜22日)で、鄧小平が主導した改革開放政策への移行であった。その後、中国の経済は飛躍的に発展し、2010年、1人当たりのGDPは4000ドルを超えた。外貨準備高も3兆ドルを突破し、輸入額は1兆3948億ドル、輸出額は1兆5779億ドルで、輸出・輸入額ともに世界1位となり、中国経済規模も世界第2位となった。