2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第5回 邢先生 5月18日 3/5
解放後中国の変化と幸せ

4)「大躍進」運動
第1次5ヶ年計画の経済実績は、指導部から「経済猛進派」の見方の正確さを証明したように理解される。中国国民も「社会主義建設の大勝利」という宣伝で、いっそう意志高揚な状態にある。その中で、中国共産党第8期2中総会で、「大いに意気込んで、高い目標を目指して大いに努力して、多く・速く・りっぱに・むだなく社会主義を建設する」という「総路線」を定めた。

5)「大躍進」の"目標"
「総路線」の文字上の意味は間違っているとは言えないが、施行上は、経済法則を無視し、「高速発展」ばかりを追及した。この「総路線」の下で、「大躍進」運動が発動された。「大躍進」は1958年の工業、農業の生産目標は数倍ないし数十倍の増加を求めていた。経済法則に違反した高い目標でしたので、結果的に大失敗に終わった。

6)人民公社運動
1958年大躍進の中、農村地区で設立したばかりの「農業生産合作社」は、より高度公有制の経済組織「人民公社」に"グレードアップ"する運動が繰り広げられた。1958年8月、党中央が「農村人民公社設立に関する決議」を採択した後、わずか2ヶ月間の10月には、全国74万社もあった「農業生産合作社」が2万6000社の「人民公社」に統合された。全国で「人民公社化」を実現した。
農民たちは一時的には、「幸せな共産主義社会」がすでに到来していると思い込んでいた。農民はすべての土地を人民公社に手渡し、都市部労働者が工場に出勤するように野良仕事をした。1日3食も人民公社の「公共食堂」で食べ、現地の食糧備蓄を早くも消費してしまい、後日、大飢饉発生の一因になった。

7)経済大調整
大躍進や人民公社は、国民経済に深刻なアンバランスと重大な困難をもたらし、1960年末時点になると、とうとう続いていけなくなった。1961年1月、中国共産党第8期9中総会は「農業発展の加速、食糧生産の拡大、基本建設の縮小、重工業発展の減速」を骨子とする決議を採択し、国民経済に対し、「调整、強化、充実、向上」という8字方針を定めた。中国は全面的な経済調整期に入った。
経済調整は1961〜1963年の3年間で行われた。その間に、中国指導部は基本建設投資の縮小、農業生産発展の強化、穀物生産量など経済実績の誇大報告の是正、生産請負制の試行などに力を入れ、経済が徐々に元気を回復し、発展の軌道に乗り出した

8)「4つの近代化」の提出
「大躍進」の失敗から、やや回復してきた中国人は一刻も強国を建設する使命を忘れず、再度、壮大な将来図を描き始めた。この代表的な出来事は周恩来首相が全人代で「4つの近代化」の目標を提出したことである。
第3次全国人民代表大会(1964年12月21日〜1965年1月4日)で、周恩来首相は政府活動報告を行い、その中、これまで経済建設の経験と実績を総括した上、将来の国家の目標として、「それほど長くない歴史的期間内に、わが国を近代農業、近代工業、近代国防、近代科学技術を持つ社会主義強国」という目標を打ち出した。これは最初版の「4つの近代化」である。
同大会は経済調整の成果を踏まえ、第3次5ヶ年計画(1966〜1970年)を施行することを決定した。

第3次5ヶ年計画のキーポイントは次の3つである。
1 農業の発展に力を入れ、基本的に人民の衣食と日用品の供給問題を解決する。
2 適度に国防建設を強化する。
3 農業発展と国防建設に相応しい基礎工業を発展させ、製品の品質改善、種類増加、生産量拡大に力を入れる。さらに「自力更生」の原則で、交通輸送、商業、文化、教育、科学技術事業を発展させる。