2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第5回 邢先生 5月18日 4/5
解放後中国の変化と幸せ
9)文化大革命の勃発
中国人は大躍進の失敗から立ち直り、これから第3次5ヶ年計画で、自信満々でまい進していこうとするところ、とても思いもよらないことで、より全面的かつ長期間の大混乱が到来した。これは1966年から1976年まで繰り広げられた「文化大革命」である。
文化大革命は中央指導部の政治闘争と理解されたが、中国経済への影響は大躍進より深刻であった。
大躍進は"ものづくり"に猛進し、失敗を招いたが、文化大革命は、"ものづくり"をほとんど停止したことである。国民の大多数が「革命」に取り組んでいた。自然災害が襲来しても、飯が食えなくても、「革命」は常に第一の要務であった。
周恩来首相をはじめとする実務派は一生懸命、混乱を収拾して生産を復活しようと努力していたが、たびたび、「4人組」を代表とする過激派により、潰された。

10)改革開放前の30年に対する評価
改革開放前の30年には、経済発展の実績もあれば、いろいろな挫折と失敗も経験した。それでは、中国人が改革開放前の30年をどう評価するのであろうか。現在の中国では、「模索論」は主導的な見方である。つまり、中国人は、改革開放前の30年が改革開放後の30年のための模索と布石だと見ている人が少なくない。
毛沢東を初めとする中国共産党の革命家は、革命戦争時代には勝ち抜いてきたが、経済建設についての経験はほぼ「白紙状態」であった。これについて、毛沢東は新中国成立直前の共産党会議(第7期2中総会)で言及したことがある。如何に「強大な社会主義国家」を建設するか、共産党の革命家たちは色々と模索したと言えよう。

1.西洋資本主義は中国共産党の理念と異なるので、もちろんその経済制度も採用しない。
2.最初、ソ連の社会主義経済体制を学んだが、後日、徐々にソ連体制の欠点に気が付いた。その後、さらにフルシチョフをボスとするソ連と政治的に決裂したため、「ソ連式社会主義」も止めた。
3.「大躍進」発動の本意はより速く経済を発展させるつもりだったが、経済自身の法則に背いたため挫折した。
4. ソ連との決裂と大躍進の失敗により、中国は「自力更生式社会主義」の段階に入った。しかし、世界先進技術と経済発展の潮流から離れていたため、中国は世界先進国の格差と拡大された。
5.文化大革命は大混乱時代であっても、周恩来首相をはじめとする実務派は経済建設の大任を一刻も忘れておらず、「国民経済第4次5ヶ年計画(1971〜1975年)」もきちんと策定した。

11)30年間の実績
30年間確かに色々あったが、しかし、経済発展の基礎を築き上げ、後日中国改革開放時代の発展にとっては意味重大であった。

1.中国はすでに「貧弱」の地位からは脱出した。もう帝国主義から虐げられない。
2.中国人民の生活は全体として、ぎりぎりの衣食足りるレベルに達した。
3.独立した工業システムを築き上げ、「自力更生」の基礎ができた。
4.たくさんの科学者、エンジニア、技術者、技能労働者を育成した。これは、後日改革開放時代に外国投資の導入、技術の導入、吸収について不可欠の条件となった。
5.土地の公有制を確立し、今後、大規模建設のために最も重要な資源を確保することができた。
6.経済建設成功の経験
 成功の経験と言えば、全国の力をあわせて重大なプロジェクトを進めることであった。中国は世界でもっとも貧弱の発展途上国として、お金も、技術も、人材も非常に不足していた。しかし、数億人口の国の力を集中すれば、どんな大きなプロジェクトにも挑戦できる。第1次5ヶ年計画中、中国は一気に「鞍山」、「武漢」、「包頭」という3つの大型鉄鋼コンビナートを含む数百件の大型工業企業を建設し、工業化の基礎を築いた。
この経験は改革開放の時代にも十分に生かされた。宝山製鉄所建設の時、中国は全国各地の製鉄所から、最優秀の製鉄専門家を呼び寄せ、全国の財力をあわせて、宝山製鉄所の建設に投入し、その成功を保障した。
7.経済・政治の失敗
「大躍進」と「文化大革命」はこの30年間の最大の失敗である。しかし、これらの失敗が後日の"成功のもと"にもなった。あるアナリストは「中国共産党と政府は大躍進と文化大革命のような二の舞を踏まないように、改革開放時代にどんな複雑な情勢に直面しても、しっかり舵取りをした。ソ連はかつて大躍進や文革大革命のような失敗はなかった。しかし、ゴルバチョフがいったん改革すると、大混乱を起こし、それを収拾することができなくなり、ソ連の崩壊にもつながった。」と指摘した。
8.再度大躍進の失敗の回避
文革大革命が終了後(1977〜1978年)、中国人は経済発展への焦りにより、全人代で10ヶ所の「宝山製鉄所」、10ヶ所の「大慶油田」を建設するという高度な経済発展目標を定めた。ところで、1958年大躍進の失敗があるため、中国政府は、1979年に、断固として2〜3年間の「調整政策」を講じ、膨大な発展計画を廃止し、再度の大失敗を避けた。
9.政治より経済発展の優先
文化大革命の動乱という苦痛の経験があるため、中国指導部は「国家安定が経済発展の大前提である」と堅持した。理由は外国投資者が動乱の国には投資せず、民衆は動乱の中で経済建設に専念することができないからである。
この理念で問題を処理するため、中国には「天安門事件」(1989年6月)があったとしても、再び文化大革命のような動乱にはならなかった。その中、いくら欧米諸国から云々と言われても、どんな国際圧力を受けても、中国は自分なりの方式で対処し、国内の安定維持を最優先した。