2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第5回 邢先生 5月18日 5/5
解放後中国の変化と幸せ
4.改革・解放政策の実施(1979年)
中国における改革・開放は、1978年12月の第11期3中総会で毛沢東時代の路線を決定的に改め、農業、工業、国防、科学技術の「4つの近代化」に向け、鄧小平の主導で始まった国内改革および対外開放政策である。主な改革・解放政策は次のようなものである。
1.人民公社の解体
2.外国の資本や技術の導入
3.経済特別区の建設
4.国有企業の改革
5.私営企業の容認
それ以来、中国は、政治の面では共産党の一党独裁を維持しながら、経済の面では「社会主義市場経済」と位置付け、従来の計画経済を脱して市場原理を大胆に採り入れ、市場メカニズムや民営企業など、資本主義的要素を積極的に導入した。この戦略が功を奏し、中国経済はそれまでの低迷から脱出し、年平均10%に近い高成長を遂げてきた。その間、1989年の天安門事件で一時的に停滞したが、1992年の鄧小平の「南巡講話」(「武昌、深せん、珠海、上海などでの談話(1992年1月18日〜2月21日)」)をきっかけに再び加速し、今まで驚異的な経済成長を続けている。

5.今後の課題
1)政治改革
政治的には共産党一党独裁が続いている。これを崩そうとする民主勢力も存在しているが、経済的にはうまく行っているので、大多数の中国人は「政治より銭」だと思っているのが今の中国の現状である。
鄧小平は、経済の面では一貫して積極的に自由化を進めたのとは対照的に、政治改革には消極的であった。彼が心から共産主義を信奉しているというよりも、経済建設の前提条件となる政治の安定を保つためには、共産党による一党独裁を維持することの必要性を認識していたからであろう。
政治改革の推進について、鄧小平は「われわれのような大国、人口がこんなに多く、また地域間が不均衡になっており、その上、こんなに多民族のところでは、上部のクラス(中央のレベル)の直接選挙を行なう条件は現在まだ熟していない」と言った。また、アメリカのカーター大統領と会見した際にも、「もし中国が貴国の複数政党制や三権分立といったやり方をそのまま持ち込むならば、必ず動乱を招くことになる。今日はこちらで一部の人々の、明日はあちらの人々のデモが行なわれたら、10億の人口を有する中国では、1年365日間、毎日騒ぎが起こることになる。そうなれば、やっていけるはずがない。建設のエネルギーもなくなってしまう。」と言ったことがある。
鄧小平は、政治改革の必要性を完全に否定したわけではない。1986年に、彼は「我々は改革を打ち出した時、そこに政治体制の改革も含めた。いま、経済体制改革で一歩前進するごとに、政治体制改革の必要なことを痛感している。政治体制を改革しなければ、経済体制の成果を保証することはできず、経済体制改革を引き続き前進させることもできないので、生産力の発展が妨げられ、4つの現代化の実現も妨げられるだろう。」と指摘した。
しかし、鄧小平は晩年、特に1989年の天安門事件と90年代初めのソ連の崩壊を受けて、政治主張がますます保守的になった。共産党による一党独裁の必要性を繰り返し強調した。
宮沢喜一元首相はかつて「中国のような国の現状から見れば、人権よりまず生存権を考えなければならない」と言ったことがある。今の中国も相変わらず「政治権」より「生存権」と「発展権」のほうが重要だと思う。政治改革はその内に必ず行う。それはおよそまだ10年かかるだろうと言われている。

2)民族問題
中国は56の民族があり、今も度々民族問題が起こっている。中国政府が舵取りを誤ると、必ずや旧ソ連のように、またはユーゴスラビアのようになるのであろう。

3)経済の格差
現在の中国では「農村」と「都市」、「西部」と「東部」、「貧困層」と「富裕層」の間で、所得の二極分化が進んでいる。中国人1人当たりの平均GDPは世界でまだ低い。国連の定める「絶対的貧困」の基準、1日1ドル以下で生活している人は未だに1.5億人いる。貧富の差があまりにも激しいので、国民の不満が決して少なくない。これらの問題を上手くクリアーしていかなければ、中国の経済発展に悪影響を及ぼすことになる。

おわりに
中国人の幸せについて言えば、解放後も幸せと不幸せの中で過ごされてきた。要するに、国を発展させるためには、政治の安定が欠かせないものである。政治が安定すればこそ、経済を発展させることができ、国民も幸せになる。さもなければ、国民が不幸せになるということは今までの中国の発展から見れば明らかである。