2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第9回 松岡先生 6月15日 3/4
インド映画はいつもハッピーエンド~映画が運ぶ「幸せ」感
それから、これはアジアの映画としては珍しいのですが、インドは国内市場における自国映画占有率が高い。たとえば日本は、邦画と洋画の興行収入はほぼ半々です。日本はがんばっている方で、他のアジア諸国は大体洋画に押され、自国映画はほんの数パーセントしか興行収入を得られない、というシンガポールやマレーシアのような国もあります。
そんな中でインドは、ほぼ2000年代に入るまでは自国映画が9割くらいを占めていました。ハリウッド映画は非常に少なく、上映されても全然ヒットしない状態でした。最近は「アバター」がヒットしたりして、ハリウッド映画が少しずつ伸びてきていますが、それでもみんな自分の国の映画が大好き、というのがインドなんですね。
そしてボリウッド映画と、チェンナイで作られるタミル語映画は海外にたくさん輸出されています。昔から輸出されているのは、インド系移民の多いイギリスや東南アジア、東アフリカ諸国と、自分の国で娯楽映画をあまり作っていないイスラーム圏の国や、北アフリカの国々です。独立後は、インドは社会主義型社会を目指したので、特に1950年代に中国や旧ソ連、東欧圏諸国にインド映画が多く輸出されました。
現在は、アメリカにインド系の人たちがたくさん住んでいるので、アメリカによく輸出されていますし、それから最近人気があるのがドイツです。ドイツではインド映画、とくにボリウッド映画のブームが2003年頃から起きています。日本は『ムトゥ』のあとブームが落ち込みましたが、他の国ではかなりの本数が公開、あるいはDVD化されています。
こういうまさにグローバル化しているインド映画が、インド社会の中でどういう位置を占めているかを見てみると、まず、大衆のための娯楽である、と言うことができます。みんなインド映画が大好きで、どういう風に映画を楽しんでいるかと言うと、私たちがちょうどディズニーランドに出かけて行くような感じで、行くぞ、と気合を入れて、子どもたちもきれいな服を着て、一家揃って見に行く。映画館はそういうハレの場だったんですね。
インド人の場合、映画は必ず家族、あるいは友達と見に行きます。映画料金は安く抑えられていて、今でも普通の映画館だと80ルピー(150円)くらいです。そういう非常に安い映画料金でも、労働者層は月に1度ぐらいしか見に行けません。働いて得た、血のにじむようなお金をこの映画に託すぞ、という感じで、見に行った場合は存分に楽しみます。
日本と違うのは、映画に対してまるでライブコンサートのような反応を皆示すことです。観客は映画に没入して、熱い反応を示します。それを皆、ごく自然にやるんですね。
例えば歌と踊りのシーン。歌を憶えてから見に行くと先ほど言いましたが、サビの部分などは画面と一緒に歌ったりします。それから私も実際目にしたのですが、主演スターがダイナミックに歌い踊るシーンが登場すると、若者たちがいきなり立ち上がって踊り出したことがあります。本当に楽しそうに踊っていて、そういう風に映画の中に参加してしまう。精一杯うんと楽しもう、という気持ちが観客側にはあります。
それから、歌舞伎の時にも「○○屋〜」とか掛け声を掛けますが、インドでも映画の画面に向かって声を掛けたりします。映画の中に没入してしまうあまり、主人公が危機に陥ったりすると、「危ない!」とか声が出てしまうんですね。それくらい映画の中に入り込み、主人公と一体化して約3時間を楽しむわけです。
インドの観客はそうやって映画を見ながら、自分の夢を映画に託しているんですね。レジュメには「代替行為による願望の充足」と書きましたが、映画の中ではカーストに縛られない自由な恋愛が描かれるとか、あるいは貧富の差を問わない恋愛が描かれます。現実にはあり得ないんですが、貧しかった男性主人公がお金持ちになって、恋愛相手の裕福な家の娘と最後に結ばれる、というエンディングになったりします。
それから勧善懲悪ですね。現実には上の人に押さえつけられ、時には暴力も受け、お役所に行くと賄賂を要求されたりするんですけれども、そういう小悪から巨悪まで、現実ではいろんなものに押さえつけられている。それが映画の中では、主人公が悪をすべてやっつけてくれる。それを見ることで非常にすっきりする、カタルシスを覚えるわけです。「水戸黄門」みたいなものですね。
現実ではできないけれども、映画の中でヒーローがやってくれる。自分はそのヒーローと一体化して、映画の中で活躍している気分になる。3時間、夢の世界で自分の願望を充足させて、ああ、よかった、と思う。そう思うためにはハッピーエンドが必要です。わかりきった筋なんですが、最後にハッピーエンドがやってくることで、みんなとても幸せな気持ちになる。家に帰ると厳しい現実が待っているけれど、明日からまた頑張っていく元気を映画の中からもらう、ということで、ハッピーエンドが映画には必要なのです。
そのほか、映画は教育的な面も持っていて、いろんなことを教えてくれます。レジュメには「映画によるアイデンティティの確認」と書きましたが、インド映画はファミリードラマが非常に多いんですね。家族の中でいろんな問題が起きて、皆苦しむのだけれど、最後には家族の絆を確認してめでたしめでたし、になる。
家族という絆は、自分の属しているコミュニティの絆、さらに大きく言うと、インドという国としての絆に繋がっていきます。国の側から言うと、映画は非常に影響力のある大衆娯楽であるが故に、国民統合の力にもなる。インドは様々な民族、言語、宗教に分かれていますので、バラバラになってしまうと大変なわけです。それを一つのインドにまとめていく。そのための手段、装置として映画は作用しているわけですね。
例えば、国の公用語であるヒンディー語ですが、ヒンディー語が母語でない人々も、豪華なボリウッド映画を楽しみながらだんだんとヒンディー語が理解できるようになっていく。これは国の統一にとって非常に重要なことです。国がいろんな命令を発するための言葉を全国の人が理解する。映画を通じて、ヒンディー語教育がなされていく。ヒンディー語以外にもインドの歴史や、世界の地理が映画の中で見せられたりします。
インド映画は海外在住インド人が主役になることもあるので、アメリカやイギリス、時にはニュージーランドやオーストラリア、南アフリカなどが舞台になる作品が結構あります。そういう所の地理を憶えたり、あるいは、そういう所にも自分たちの同胞がいる、という認識を、映画を見ることによって持つようになるわけです。