2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第3回 宮脇先生 4月27日 3/7
チベット人の幸せ 仏教徒としての人生
1949年にはすでに今の四川省と青海省に共産党軍が入ってきて、チベット人の抵抗や反乱が始まっていたのですが、ダライ・ラマ14世がまだ少年で、歴史的にチベットは、モンゴルの支配も、満洲人の支配も、却って相手を仏教徒にすることで乗り越えてきたので、「私たちは貧しい生活をしているし、何もないのだから、思想や文化を教えます」と言って、モンゴル人や満洲人皇帝に仏教を保護してもらった経験があったので、ダライ・ラマ14世は、中国に対しても、「自分たちは外交をしたいわけでもお金が欲しいわけでもない、チベット自治区としてもいい」と話し合いの道を探って、毛沢東に会い、周恩来にも会って、10年間頑張ったんです。
ところが、1959年にラサ反乱が起きて、ダライ・ラマ14世はとうとうインドに脱出しました。毛沢東はそれを聞いて「それはよかった」と言ったそうです。知っていながらダライ・ラマを逃がした。トップがいなくなったあとは軍隊が入って、抵抗した人を殺して、結局は、ウィ・ツァンと言う中央チベットだけを自治区にして、あとは中国の省に分割しました。ちょっと古い情報ですが、中国国内のチベット人の46%だけが自治区に住んでいます。青蔵鉄道を建設した今では、チベット自治区の直接支配を始め、チベット語も仏教も禁止するようになっています。
1966年に始まる文化大革命のとき、チベットのほとんどの寺を破壊して、貴金属を持ち去りました。その後、いちばん大きな寺だけは観光用に修復しました。中国人にとって、精神はもっとも不得手な分野です。漢字は見て意味のある文字で、中国文明は見た目が大事なんですね。だから、中国人の欠点は、人の気持ちを大事にしない。気持ちって見えないですから。中国人はチベット人に対して「中国に忠誠を誓うと言えば、お前は命が助かるのだから、誰も本当の気持ちなんか気にしないのだから、言えばいいのに」と思うんです。「上に政策あれば、下に対策あり」で、中国人同士は、みんな建前で生きている。ところがチベット人は仏さまに帰依しているので、ウソは絶対につかないんです。みんなダライ・ラマが好きだと言う。ここが支配者である漢族にしてみれば、許せない反抗です。この摩擦がいたるところで起きている。これも精神の違いだと言わざるを得ません。
チベットは土地が広いから、漢族の人口圧を減らすために入植させよう。中国は巨大な人口を抱えているのだから、チベットに移住させればいい、というような言い方で、地図を見て決めてしまう。これは中国だけではなくて、国際連合でも同じです。モンゴルは人口が少ないのに土地が広くて、1キロ平方メートル当たり数人しかいない。南の中国にはこんなに人口があるのだから、均しても大丈夫。そんな感じで紙の上で判断する指導者、というのが結構いる。
中国は遅れてきた帝国主義者なので、摩擦はなくなりません。例えば金をやっても言うことを聞かないと、じゃあ、チベット人なんかいなくなれ、と。中国だから漢字を使えばいい、抵抗するやつはいなくなればいい、ということでチベット女性に不妊手術をして、チベット人が増えないようにする。漢族は15億人もいるのだから、チベット人がいなくなったって中国は困らない。このように乱暴な方へ行くわけです。少数民族や小さな言語が消滅したらかわいそうとか、悲しいとかいうのは学者とか日本人みたいな人間が言うことで、食っていくほうが大事、生存競争が大事、中国人は本当にそう思っている。そういう目で見ないとわかりません。これは少数民族の悲劇です。
中国人は、その上共産主義者になりましたから、「宗教は迷信である」と思っている。チベット語は無用で遅れた言葉だから、あんなのはなくなってもいい、と考える。これに抵抗するダライ・ラマ14世のことは常に極悪人だと言い、なにか暴動があると「裏でダライ・ラマが糸を引いた」とか、そういうふうにしか言わない。何の妥協点もなく来ています。解決策があるのかと考えたときに、紀元前から存在する仏教を、果たして本当に消滅させることができると中国人は思っているのか、ということになります。
中国人には、精神的な哲学的な宗教は本当にはわからないので、金で何とでもなる、と思っています。ところが、チベット仏教はヨーロッパの哲学にものすごく大きな影響を与えたので、チベット問題が国際問題になった理由は、文化文明にあるんです。チベット文明がなくなったら、つまらない、かわいそう。これを担っているチベット人は、非常に文明度の高い人だ。それが国際的な支援の本当の理由です。チベット人の文明が優れているから、みんながこれを大切に考える。ここのところを中国人が理解できることが将来あるかどうか。別にチベット人はお金が欲しいわけじゃないんですから、チベット文字とチベット語と仏教が残ればいいわけですよ。それをつぶそうとするから衝突が起こるわけです。そういう問題だということをご理解いただきたい。