2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第4回 宮脇先生 5月11日 2/7
モンゴル人の幸せ 国家と民族と家族への思い
チベットに関しては日本でも活動する人が増えて、例えば日本人の有本香さんが、中国がチベットに対してどんなひどいことをしているか、という本を書いていますが、面白いのは、インド北部のダラムサラで出た英語の本を翻訳した、そのチベット史の元は、私の夫の岡田英弘の研究なんです。それをチベット人が使って歴史の話をしています。つまり、中国が隠したい歴史というのは、じつは日本人の研究に伝統があるんです。
日本人は大変な歴史好きですので、本当のことが知りたい。満洲だって、日本人が行かなければあそこの歴史は残らなかった。朝鮮半島だって、日本が出て行ったおかげで遺跡が見つかった。明治以来100年間続いた日本人の学問は、現代アジアに、じつは大変大きな役割を果たしています。瀋陽も沿海州も、現地調査は日本の研究者が100年前に始めたことが多いんですよ。内モンゴルの遺跡発掘なんて、ほとんど日本人がしたんですからね。というわけで私は誇りをもってモンゴル史を研究しています。私の別の本は韓国語訳もあります。韓国は研究者の数が少なくて、アジア研究をしようと思ったらまず日本語ができなければいけない。
ヨーロッパ人がいう植民地経営と、日本人が台湾や朝鮮や満洲でしたことの間にはずいぶん差があるので、同じ言葉を使うのは問題があると私は思いますが、宗主国としての日本の責任は、本当のことを明らかにすることではないでしょうか。なぜ今、モンゴルが北と南に分かれているのかというと、日本も関与しているのです。日本が満洲国を作って境界線を引かなかったら、内モンゴル自治区はできなかったでしょう。いいことも悪いことも含めて、日本は、自己のおこなった大陸政策をきちんと見直さなければいけない。
ところで、モンゴルの幸せのことですが、モンゴル国立大学日本語科の教授をしている私の親友が、東京外語大学の客員教授に招かれて、夫と一緒に、放射性物質が飛んでいる最中の日本に来ました。「中国人は逃げたのに偉いね」って言ったら、「モンゴル人は自分で決める人だから」と返事しました。私は早速彼女を家に招いて、ボウズ(餃子)をご馳走して、幸せについて聞きました。そうしたら、「うーん」って悩んでぜんぜん思いつかない。「モンゴル人は、そんなこと、わざわざ考えない」って。最後に、「家族が元気でいることかな、『ハトンのほっぺが赤い』ということわざがある」と言いました。
ハトンというのは、ハーン(君主)の奥さんのことで、今では言葉の値打ちが下がって、職場のボスの奥さんもハトンと呼ぶわけですけど、「健康で幸せだったら、ほっぺが赤いでしょ」ということで、人の心のなかまでは考えない。その他「雨を運ぶ人は幸せを運ぶ」。モンゴル人にとって雨がいかに大事かという。この二つだけでした。

去年も一昨年もお話ししていますので、話がダブりますが、モンゴルとはどんなところ、という基礎的な話から始めたいと思います。モンゴル人はモンゴル国だけに住んでいるわけではなくて、北にも南にも、それにロシアのヴォルガ河下流にもいます。独立しているのはモンゴル国だけで、面積は日本の4倍あるのに、人口は2008年統計で267万人しかいません。ものすごく少ないですよね。モンゴル国が独立を達成したのは1921年なんですが、このときの人口が90万人。100万人いなかった。そのあとの社会主義時代には、たくさん子どもを生むお母さんを国が表彰したので、人口が増えました。モンゴル人にとって社会主義は決して嫌なものではなかった。もともと天下はみんなのものです。だから、みんなで分け合うということに、モンゴル人はあまり抵抗感がなかったんです。
モンゴルの家畜は5畜と言い、羊とヤギと馬と牛とラクダです。ラクダは南のほうの砂漠で飼っていて、ウランバートル付近にはあまりいませんが、遊牧民は、5畜のうち4つくらいは飼っています。なぜなら、肉を食べるのは羊、毛を取るのはカシミヤヤギ、乳を飲むのは牛だし、乗るのは馬。生活には全部いないと困るわけです。そうすると、働き手の男は3人は必要になる。なぜなら、4種類の家畜を一緒に放牧はできないからです。馬は歯があるので草の上しか食べないし、早く走るので、馬の集団を1人が連れて行き、羊やヤギは別に放牧する。牛は意地汚く結構根っこのほうまで食べるので、他の動物が食べ終わったあとの草原に連れて行く。つまり、1家族に男が少なくとも3人は必要になる。