2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第11回 土佐先生 6月29日 3/7
韓国~祖国の幸福と個人の幸福
2.伝統的幸福観
まず、幸福という言葉の辞書的な意味を最低限確認しておきたいと思います。漢字語で韓国語でもそのまま「幸福」と書いて、「ヘンボック」と読みます。先に2番目の定義を見ますと、「生活の満足と生きがいを感じる満ち足りた状態」ということで、日本の幸福とよく似ています。注意していただきたいのは1番目の定義、「恵まれたいい運勢」です。運がいいかどうかということが、幸福を左右する。これは日本や中国の伝統にも通じることですけども、現代人とかなり違う価値観が背後にあり、辞書的な定義にも受け継がれているわけです。ここの部分に注意することが、伝統的な価値観を理解するときに1つのポイントではないかと思います。
伝統的な価値観というときに、韓国の場合は大きく分けると2つのものがあります。1つは儒教です。これは、今でも韓国社会を支えている非常に重要なものです。礼とか孝という概念を中心にした共同体主義というものが儒教だといえます。礼というのはどういうものかというと、分を知るということです。たとえば、それぞれの性によって行動や身振り、そして価値観が違うという考え方ですよね。また、身分に応じて期待される行動様式や教養、価値観が変わる。それぞれに応じた、分に応じた振る舞いをしないといけないということです。
儒教の中での女性らしさというとき、「二夫に見えず(にふにまみえず)」ということがあります。一途に1人の男性と添い遂げる。万が一、夫が早いうちに亡くなった場合は、死ぬまで一人を通し、誘惑に負けてはいけないということです。
そういう理想を立派に全うした人のことを、「烈女」と言います。感情が激しいという意味でなく、操を守った女性という意味です。誘惑されたぐらいだったらまだしも、暴力的に襲われそうになったときに自害するとか、そういう人のことを烈女として顕彰するわけです。そういう烈女像みたいなものが各地にあります。
烈女にとっての幸せというのはどういうことか。現代人、特に若い人の価値観とはおよそ相容れないですよね。自分の欲望に忠実に生きることが幸せではなくて、そのときに社会的に期待されている役割、こうあるべきという理想を生ききることが幸せということです。ここでも幸せの主観性という問題が出ています。
儒教というのは社会の中心的な思想ですから、主に支配層に浸透していた。それ以外の庶民というのは必ずしもそういうふうに暮らしていたわけではありません。社会の主流から取りこぼされるような部分を取り繕うといいますか、補完するのがもう一つの伝統としてのシャーマニズムだといえます。
例えば、儒教の伝統では男子の跡継ぎを残すことは絶対ですから、女性が子どもを産まないで死んじゃうとか、あるいはそもそも結婚する前に死んじゃうということは、男権の家族を永続化する義務に背くことになります。それはまた、非常に恨みが大きい死になるので、儒教の伝統ではうまく処理できない問題です。そういうような不幸な死者、周縁的な存在を救ってくれるのはがシャーマニズムです。
昔は、災害に象徴される運の巡り合わせが人生に与える影響力ははるかに大きかったと思います。そのことを、日本人はこの間の大地震と津波で思い出したわけです。いったん大災害が起きると、それが人生にどれだけの大きな影響を与えるか。今でもそうですが、昔は防災という意味ではもっとはるかにもろい環境の中に人々は生きていました。
「三災八難」という中国起源の言葉があります。内容は韓国的に変質し、文献によって少しずつ違います。三災とは、火災・水災・風災という自然災害を指します。八難としてよく挙がるのは、損財、酒色、疾病、父母の病、兄弟間の諍い、舌禍、盗難、官災の八種類です。父母の病というのは儒教的な孝からみて特別な意味があるので、自分の病と分けているところが特徴です。そして最後の「官災」という言葉が非常に韓国的なもので、これは日本にも中国にもありません。「官」というのは役所や警察との関係でトラブルに遭うこと、権力者によっていじめられるということですね。そういう災難を指し示す特別なカテゴリーが韓国語にはあるということです。
ここまでの話を少し整理します。伝統的な韓国社会には、大きく分けると2通りの幸福観があるといえます。まずは、積極的な幸福観。これは人間が、いつの時代でもそうですけども、より豊かに、よりよい生活を得たいという欲望から出てくるものです。生まれもったものに満足しないで、より理想に近づこうとする在り方。これはしかし、伝統社会では具体的になにを目指しているのか漠然としていました。「富貴多男」「不老長寿」「百事如意」といった中国起源の言葉が漠然とその理想を示していますが、一般的なイメージを超えるものがありません。