2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第6回 辻村先生 5月25日 1/4
西アジアの幸福な風景1〜葦船浮かぶナイルの河畔
今回のテーマは「アジアの幸せ」です。どこにいても幸せの条件なんて似たり寄ったりではないかという方もいれば、逆に、幸福感は個人の主観にすぎないという方もいらっしゃるでしょう。そこで、過去の人々がイメージした幸せの風景を手掛かりにして、2つの異なる社会における幸せについてお話させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。『西アジアの幸福な風景‐葦船浮かぶナイルの河畔‐』と、タイトルをつけたので、エジプトの王朝時代の話なのかなと思われるかもしれませんが、実はローマ時代のお話です。パクス・ロマーナ、これはローマの平和という意味です。平和の時代を謳歌した帝政ローマ時代の人々のぜいたくな暮らしぶりと、その裏に抱え込んでいたそこはかとない不安や不幸についお話ししたいと思います。
ローマにも長い歴史がありまして、帝政ローマ期とは紀元前23年以降を指し、それ以前は共和政の時代と申します。ジュリアス・シーザーやアントニウスが活躍したのは共和政の末期です。共和政の時代には、ローマは戦争に明け暮れておりました。イタリア国内の諸部族との闘いに勝利したローマは、カルタゴとの大規模な戦争に取り掛かります。紀元前201年の第二次ポエニ戦争で、ローマの将軍・スキピオが終にカルタゴのハンニバル将軍をうち負かし、ローマは地中海世界の覇者となったのです。
次にローマが目標としたのは、イタリア半島よりも東の地域です。かつて一代で地中海から中央アジアに至る広大な地域を征服しましたアレキサンダー大王が生まれたマケドニアです。紀元前60年には、西アジアのほとんどの地域をローマのものとし、さらに30年後にはクレオパトラが支配するエジプトも手に入れたのです。
ローマは圧倒的な軍事力を背景にして、平和で豊かな時代を築きました。皇帝の採った政策が、『パンとサーカス』と呼ばれる有名な政策です。パンというのは、市民への穀物の無料配給です。本国における農業生産は、戦争の捕虜として連れてこられた奴隷によって担われましたが、それだけでは足りませんから、カルタゴやエジプトから大量の穀物を輸入していました。カルタゴとエジプトがローマの食糧を支えたのです。
 サーカスというのは広く娯楽一般を意味します。昔、「ベン・ハー」という映画がありましたが、覚えていらっしゃるでしょうか? 馬が引っ張る1人用の戦車に立って、チャールトン・ヘストンが鞭を振るって競争するシーンは迫力がありましたよね。戦車競争、剣闘士同士の闘い、剣闘士とライオンなどの猛獣の対決。生死を賭した闘いは最も興奮する娯楽でした。悲劇や喜劇が演じられるシアターや音楽会が催されるオデオン、公共浴場も社交の場であり、娯楽の一つといえるでしょう。市民たちは夜ごとワインを飲むこともできましたし、ちょっと下品ですが、安く女性を買って一夜を楽しむなんていう場所もありました。ローマだけではなく、本国の諸都市、さらには属州の諸都市にもこのような娯楽施設がつくられておりました。
写真を見ていただきましょう。ポンペイは南北が700メートルぐらいの都市です。神殿やフォルムと並んで、先ほど申しました娯楽施設として闘技場、2つの劇場、3つの公共浴場があります。ジェラシュではどうでしょうか。ポンペイよりも1周り大きいかなというぐらいの遺跡です。2つの劇場と2つの公共浴場があります。244mもある戦車競技場(ヒポドローム)もあります。その周囲に配置された観客席の数は1万5000位と推定されています。
これはエジプトのアレキサンドリアに残っている小劇場で、よく保存されています。こちらはレバノンの首都・ベイルートに保存されている公共浴場です。このあたりは町の中心部でして、公官庁や高級商店街が広がっています。現代の都市にこういう遺跡をうまく残しているのですね。近くには同じくローマ時代の水道橋も残っています。ローマは水に対して神経質で、地下水ではなく、新鮮な湧き水をこのような水道橋を使って、山から都市まで延々と運んだのです。これは大通りに立てられた列柱です。