2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第6回 辻村先生 5月25日 3/4
西アジアの幸福な風景1〜葦船浮かぶナイルの河畔
王朝時代のエジプト人も、ナイル河畔での暮らしを幸せと感じていたようです。なぜなら、彼らはあの世に行ってもこの世と同じような暮らしがしたいと願っていたからです。 王朝時代の後期、紀元前1300年ぐらいでしょうか、ラムセス朝(第19王朝)の『死者の書』の1つを見てみましょう。死者があの世に行く前に、生きてきたときの行状等々を秤に掛けられている場面です。秤の一方に死者の心臓、もう一方には正義の女神マートの羽根飾りが置かれています。測っているのはヤマイヌの神アヌビスです。それを書き付けているのが、鳥の頭をもつ知恵の神トトです。
生前非常に悪いことをした大罪人である、ということになると、トトの後ろに描いている怖そうな怪獣が、心臓を食べてしまうのです。そうすると、もうあの世に蘇ることはできない。それ以外の人は「あの世」に行って、「この世」と同じような暮らしをすることができるのです。悪い人の心臓はここで食べられてしまうわけですから、永遠に続く地獄というものはエジプトでは描かれていません。
ギリシャ神話はどうでしょう。死者は、エリュシオンの野に向かいます。そこは花の咲き乱れる明るい牧場で、歌や踊りにあふれ、祝福された者は自分の好きな仕事に精を出しています。しかし、罪人には恐ろしい地獄が用意されていました。タンタルスという罪人は乾いた喉を潤す水を求めようとするけれど、その水に近づくと水はすっと逃げてしまう。それで、永久に水を飲むことができないのです。また、シジフォスという罪人は大きな石を必死で山の上に運ばねばなりません。ところが、ようやく石を上に運び上げたと思ったら、その石はころころ転がって下に落ちる。また、それを上に運ばねばなりません。永遠に石を運び続けるのです。つらい労働を強いられるところ、それが彼らの地獄でした。
贅沢な暮らしの中に芽生える、そこはかとないローマ人の不安。この不安をかき消すかのように、ローマ人は、「あの世は何もない」と、極めて潔いエエピクロス学派になびいていきます。快楽主義です。資料を見て下さい。
「私の墓石に香や花束を捧げないでほしい。それはただの石なのだ。」最近、聞いたことのある歌にそっくりでしょ?「私の墓石に香や花束を捧げないでほしい。それはただの石なのだ。」あるいは、「われわれは飲んだり、食ったりしようではないか。なぜなら明日をも分からぬ命なのだから。」 ポンペイの町に骸骨のモザイクがあるのですが、「死んでしまったら飲むこともおいしいものを食べることもできないよ。だから、骸骨になる前においしいものを食べ、うまい酒を飲もうじゃないか」ということらしいのです。「私は生きている間、飲みたいだけ飲んだ。飲め、汝、生者よ。」変な励まされ方ですけれども、そんなエピクロス主義者の言葉も残っています。
ストア学派は「亡くなったら魂は下降するのではなくて、天上界に行く」と主張しています。先ほどの『千の風になって』は、「死者の魂は墓にはいない。私は星やら風になって、親しい人々を見守っているのですよ」という歌詞だったでしょうか。魂が霊界に下降するのではなくて、天上界に向かって上昇し、星や風になるのだという想像は、死んだら何も残らないというエピクロス主義よりも、むしろストア学派に近いのではないかと思います。
ローマ人の心を、不安にするような死生観というのもありました。ピタゴラス学派の墓石にはこんなマークが刻まれます。Υという文字です。これは徳のある人物を永遠の休息に導く道と、安逸と放縦が邪心のある人物を地獄に導く道の2つを表しているのです。「正しい人の魂は、死後天上界に行くが、悪人の魂は地中深く下っていって、永遠の罪を受ける」と教えているのです。西アジアの影響を受けたミトラス教においても、「正しい人の霊魂は空に上っていくけれども、堕落した霊魂は冥界近くに下がっていく」と考えられています。