2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第6回 辻村先生 5月25日 4/4
西アジアの幸福な風景1〜葦船浮かぶナイルの河畔
キリスト教以前に広く信仰を集めたディオニソス信仰はどうでしょうか。ディオニソスというのは酒の神として知られ、ローマ神話の中ではバッカスと呼ばれています。ディオニソス信仰では、入会の秘儀を受けることで、あの世における魂の永遠の生を得ることができると教えました。ポンペイのすぐ近くに『秘儀の館』と呼ばれる邸宅があり、そこには秘儀のシーンと考えられる非常に美しいフレスコ画が残っています。ディオニソスと彼の従者であるシレノス、サチュロス、そして秘儀を受ける女性などが描かれています。
あの世で永遠のいのちを得られる者と地獄に墜ちていく者がいる。そのように二分されるという考え方はギリシャ、ローマの伝統というよりも、むしろ西アジアのゾロアスター辺りからの影響、二元論の影響があるのかもしれません。都市に壮麗な神殿を造営し、そこに祀られた神々への奉献を市民たちが欠かさないことによって、その都市に対する神々の加護が保証され、それが同時に市民一人一人の幸福に繋がるというのが、基本的なローマの考え方だからです。個人が直接その神から救済されるのではないのです。ところが、ディオニュソス信仰もキリスト教も、そうではなく直接に個人の救済の道を示したのです。特にキリスト教は市民社会の外にいる人々を強く惹き付けました。都市神の加護を期待できない貧しい女性たちや奴隷身分の人々です。
3世紀になると、パクス・ロマーナと呼ばれた繁栄の時代も危機に見舞われます。領域を広げすぎたために伸びきった防衛ライン、加えてローマの穀倉であったエジプトでは気候が悪化し、ナイル川は以前のように増水しなくなったのです。充分な水量と豊かな土を運んでくれなくなったために収穫量は激減しました。たちまちローマは財政危機に陥りました。この財政危機を乗り切るために、ローマがしたことは通貨の増量で、それを何度も繰り返したのです。財政の悪化は、政治の悪化にもつながりました。わずか半世紀の間に、26人の皇帝、3人の副帝、それに自称皇帝が何と41人も乱立しました。合わせて、70人も皇帝が出てきたのです。自称皇帝のほとんどは軍人でした。都市民は都市に対する信頼をすっかり失ってしまいました。そして富裕な市民までが、個人の救済を唱えるキリスト教に惹かれて行くようになったのです。都市のなかに教会が造られるようになりますが、それだけでなく、エジプトやシリアでは都会を離れて砂漠で修行をする人々も出てきます。
そんな1人に、エジプトのアントニウスという人がいます。この人は、裕福な農民でしたけれど、「生きて汝の持てるものをことごとく売り、貧しき者に施して、我に従え」という神の声を聞き、財産を全部売り払うと砂漠に行き、修行を始めます。彼のように貧しくない人たちが享楽的な都市生活を捨て、静かな星の輝きや木陰の安らぎのような楽園を求めて砂漠に修道院を作り、そこで禁欲生活を始めたのです。キリスト教の拡大につながったのは、ローマ帝国の周縁にあった都市で細々と生活を営んでいた商人や職人、女性までもその都市を離れて自由に別の都市に移る、人口の流動化が起こったことだと言われています。キリスト教は都市に替わる宗教的共同体を人々に用意したのです。そこを頼っていけば、食べていくことができる、何か助けてもらえたからです。
4世紀になると、ローマは混乱から抜け出してキリスト教を国教とします。そうして再び都市が活況を取り戻したあとも、人々がかつてのように都市へのアイデンティティを取り戻すことはありませんでした。キリスト教徒の幸せは最後の審判によって天国で永遠の命を与えられることなのでしょうが、何よりこの世に宗教的な絆を生み出し、それまでの贅沢な消費生活にはない精神の充足をもたらしたことの方が人々の幸せを考える上で重要ではなかったかと思います。ご清聴ありがとうございました。