2011年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの幸せ」

第7回 辻村先生 6月1日 1/4
西アジアの幸福な風景2〜潺々と河水流れる楽園
前回はローマ帝国の話をいたしました。今日は、イスラーム教徒の幸せについてお話したいと思います。
イスラーム教は、ご存じのようにムハンマドによって始められた宗教です。紀元後610年、ムハンマドが40歳のときに最初の啓示を受けます。教示を受けてから4年後の614年、彼は布教活動を開始します。サウジアラビアの地図で、彼が生まれ育ったメッカという町の位置を確認しておきましょう。
メッカは、サウジアラビアの西部、紅海に近いところに位置します。ムハンマドが生きた時代のメッカという町がどういう町だったかというと、それほど大きな町ではありませんでした。小さな町ですが、交易都市で、周りは遊牧民が支配していました。ムハンマドは商人の出身で、皮革製品をシリアに持っていって商売をしていました。南アラビアには没薬や乳香などの香料があって、古くからこれをエジプトやメソポタミア、シリアへ運ぶ交易の民がおりました。隊商が陸路で物資を運ぶのですが、遊牧民からしばしば攻撃を受けるので、ローマ時代になるとナイル川をさかのぼって紅海にでると、そこから船に乗って南アラビアに行くようになりました。ローマはさらにインドに至る長大な海上交易路を開拓します。しかし、だからといって陸路による交易が絶えたわけではなく、特にローマの勢力が弱まってくると活況を呈するようになります。
さて、布教を始めたムハンマドですが、布教はなかなか思うようにはいきません。そこで、彼は70人の青年男子とその家族、総勢100人ぐらいを伴ってマディーナに移り住みます。しかし、ここに移ったからといって、すぐに信徒数が拡大したわけではありません。マディーナは、メッカよりもさらに大きな町で、農業が盛んなところでもありました。農産物を狙って、周囲の遊牧民に襲われることも多かったために、ここには非常に優秀な戦士たちがおりました。彼らと一緒になって遊牧民たちと闘うムハンマドの精鋭70人はマディーナの男たちにも勝る戦果を挙げまして、そのことによって信任を得るといいましょうか、それで信者を拡大することができたのです。
これが、メッカのカーバ神殿です。世界中から、イスラーム教徒たちがここにやって参ります。というのも、メッカ巡礼はイスラーム教徒にとって聖なる義務とされているからです。神殿の周りをこうして大人数で回って、揃ってお祈りをします。サウジアラビア政府は裕福な国ですから、毎年、他のイスラーム国の信者を大勢招待しています。メッカ巡礼を果たすことはイスラーム教徒にとっては大変な喜びであり、家の外側に飛行機や船の絵を書いて巡礼に行ったことを皆に示します。行った人は、男の人だったら「ハッジ」、女性は「ハッジャ」と呼ばれて、周囲の尊敬を集めます。
ところで、イスラームというのはどのような教えなのでしょうか。1日に5回お祈りをしなければならない。毎年、1ヶ月近く断食しなければならず(ラマダン)、この期間は、日が昇ってから日が落ちるまで水も飲んではいけません。
これは辛いことじゃないかもしれませんが、妻が4人まで持てます。ただし、複数の妻に対して完全な平等を約束できる場合に限ってのことです。完全な平等などできるものでしょうか。果たして男たちのほとんどは1人の妻で満足しています。2人以上の妻を持っている人は珍しいのですが、裕福だからでしょうか、サウジアラビアにはかなりいます。ムハンマドが生きた時代のアラビアは遊牧民の世界です。遊牧民たちはお金がある限り、あるいは略奪してでも女性を妻にしていました。当時は戦争が繰り返されて未亡人が多くいましたので、彼女達の救済のためにイスラームは4人まで、それも平等にするという条件付きで一夫多妻を許可したのですから、当時においては女性を尊敬した規律といえるでしょう。