2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第9回 福田先生 6月13日 2/6
台湾:民進党女性リーダーの系譜
そして、1949年に中華民国政府は中国大陸で完全に敗れ、台湾にすべての政府の機能を置くということを決めると、1950年代から80年代までの非常に長い間、国民党に反対する言論や外省人に対する本省人の反発を本格的に取り締まります。これが台湾の女性たちにどのような影響を与えたかというと、このなかで女性の権利を求める運動に参加していた女性たちは、女性であろうと、やはり男性と同じように逮捕されました。また、国民党に逮捕された本省人の奥さんやお嬢さん方も、国民党統治によって自分の人生を大きく変えられてしまうという状況になりました。この国民党の一党独裁体制が非常に強かった20年〜30年の期間、台湾女性はそれではどのように社会とかかわっていたのか、政治との接点があったのか、ということをこのあたりから少し詳しくみていきたいと思います。
国民党の一党独裁が非常に強かった時代は、台湾の女性が置かれた状況を考えると、日本統治時代とけっこう似たような構造なのですが、非常に国民党の動員という意味が強かったことを指摘できます。台湾女性たちは動員する対象としてみられていて、動員のための団体以外の女性団体は活動空間がない状態が続いていくことになりました。そういった国民党主導の女性動員という活動において、中心的な役割を担っていたのは蒋介石の妻である宋美齢さんです。彼女は、国民党が中国大陸にいた時代から党を中心とした女性動員の運動において中心的な役割を担ってこられた方で、彼女自身が女性であるということやご自分の語学力、キャラクター等を生かし、政治・国際関係の領域においても夫を支えた存在でした。例えば、大陸時代に国民党が劣勢となり、国際的な支持を得られないとき、非常に英語が堪能だった彼女がアメリカ議会で演説をし、中華民国・国民党に対する支援を訴え、アメリカで話題を呼びました。彼女は、夫である蒋介石よりもアメリカでは知名度が高い存在として取り上げられることもあったほどです。彼女は自身の知名度や女性としての魅力を生かしながら、中華民国が台湾へ移転したあとも、国民党による女性動員において中心的な役割を果たしていきました。
例えば、台湾では1950年に、中華婦女反共抗ソ連合会というものが設立されました。中華民国政府が台湾に遷都した後は、台湾だけを統治し続けることを目指したわけではなく、国民党はいつかもう一度共産党を倒し、中国大陸にもどるという「大陸反攻」を目標としていました。当然、中国共産党と対抗するのであれば、冷戦という国際環境下においてはソ連も敵であるということで、反共そのものと婦人の運動を結びつけ、活動を展開するための婦人団体を早くも1950年にはつくったということです。この婦人団体は今でも中華婦女連合会という名称で存続していて、中華民国的な価値観を掲げる女性の活動団体として活動を行っています。時間の経過と共に、「大陸反攻」をできる客観的可能性が低くなってきますと、1960年代以降の台湾内部においては、「大陸を取り戻す」ことを掲げる様々なキャンペーンが強化されたという側面があって、1960年代には「模範的女性」を掲げるキャンペーンなどが大々的に行われたと言われています。
宋美齢らが中心となって掲げた「模範的女性」とは、果たしてどういう存在だったかということをみていきますと、良妻賢母で、国家と民族を守る、すなわち家庭をしっかり支えることが国家と民族を守り、よい公民であることに繋がるといわれていました。これを象徴する存在が宋美齢という図式でした。蒋介石という指導者は非常に愛妻家であったというか、宋美齢夫人に大きく頼っていた部分があります。例えば、アメリカで公開されている蒋介石の「日記」を見てみると、「彼女の支えがなければもう僕は生きていけない」というようなことがけっこう書いてあります。特に苦しいときほど、蒋介石の妻に対する依存は大きくなったようです。宋美齢はそういった夫を支え、しかもただ家庭で夫を支えるだけではなく、国家のために必要であれば自らアメリカへ演説に行ったり、台湾に来るさまざまな外国の要人と会ったりという、政治的な活動にも貢献しました。台湾のなかでは、女性の集会へと出向き、社会奉仕をすることで、宋美齢が象徴するような国家を支え、苦しい時代を乗り越え、中華民国を復興させようという運動がなされました。
このような運動は、一見女性のことを高く評価しているように見えますけれども、台湾社会という観点からみると、女性の解放というよりも、体制の希望する方針のために女性を上から動員するという意味合いが強いものでした。これ以外の下からの女性運動活動は、戒厳令下で厳しく抑圧されるという状況が1950年代、60年代、70年代の初めぐらいまで続いていきました。これが2番目の戒厳期における台湾女性の地位です。