2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第9回 福田先生 6月13日 3/6
台湾:民進党女性リーダーの系譜
そのあとで、基本的には現在までつながる民主化という時代がまいります。本格的に台湾で民主化が始まったのは1980年代末からで、それに伴い、「大陸反攻」もできないということが認められるようになりました。たとえ「大陸反攻」をできなくても、1950年代から60年代、蒋介石や宋美齢が健在だった時代は国際社会における中華民国の地位は高かったといえます。例えば日本にとっても、正式な外交関係がある「中国」とは、1960年代まではこの台湾にある中華民国だったわけですが、そういった状況は70年代になると変わってまいります。1970年代に中華民国は国連における代表権を失い、それに代わり中国大陸の中華人民共和国が代表の座につき、それに続いて日本や西欧の国々が承認する「中国」も中華民国から中華人民共和国に変わっていきました。つまり、国際社会において中華民国の地位が急激に下がると、戒厳統治を続け、台湾独立運動や民主化運動を厳しく取り締まっていたことに対する不満が表に出てきて、国民党の一党独裁体制というものがほころび始めました。このように国民党の一党体制が緩んでくるなかで、女性の権利であるとか、社会のなかの女性の地位ということに関しても新しい主張、新しい人々というのが出てきたのです。
その新しい動きの中心となった女性の一人が、現在もご健在な方ですけれども、呂秀蓮という政治家です。呂秀蓮さんは、おそらく日本のテレビや雑誌が注目していたこともありましたので、ご覧になったこともある方いらっしゃるかもしれません。2000年から2008年までの民進党政権下では、台湾初の女性副総統として活躍をされたことは非常に有名です。この方は多くの紆余曲折を経て副総統に就かれた方で、1970年代から「新女性主義」というご自身の女性の地位に関する考え方を発信して来られた方です。「新女性主義」の中核となる有名なフレーズは、「男性にできることは私にもできる、それに加えて私が女性だからこそできることもある」というようなものです。それは、このときの台湾の社会の状況をよく反映したものであったように思えます。女性であることの前に人間としての権利を確立しなければいけないというのが彼女の主張してきたことの骨子だと思われます。
なぜそのような主張が出てくるかというと、国民党の一党体制下では、国民党の一党体制に反対するような主張というものは認められず、当局の思うままに人々の主張や人権が侵害される場面が多々あったためであると考えられます。呂秀蓮の主張やそのあとの歩みは、まずは一党体制に終止符を打って民主化を達成し、自分たちの主張、つまり国民党への反対や本省人の主張を反映できる世の中にしていくというものでした。それと並行して女性としての権利を訴え、女性だからといって民主化から取り残されるのではなく、女性としての権利を主張していくことを目指していたように思えます。
彼女は1944年に台湾の桃園、現在は台湾の国際空港があるあたりで生まれ、台湾大学を卒業しまして、そのあとアメリカに留学をしました。留学先のアメリカで、60年代、70年代のフェミニズム運動の影響を受け、ただそれを単純に翻訳して台湾に紹介をするというのではなく、台湾社会や政治の現状を考慮した上で、台湾により合った主張ということで、「新女性主義」という主張を展開しはじめました。その後、1979年に呂秀蓮は美麗島事件で検挙されます。美麗島事件ですが、この頃にはかなり結束を強めていた台湾の党外運動家(国民党の外から政治的自由を訴えた運動家)が1977年に『美麗島月刊』という雑誌を作り、雑誌社という名目でいろいろな言論を発表しながら、将来的にはそれを政党の設立につなげていこうというような活動を始めていたわけですね。こういった動きをしていた人々が1979年の世界人権デーに合わせて街頭でデモ運動をしたのですが、国民党はそれを口実にこの党外運動していた人々を一斉に検挙をしたという事件です。このとき、呂秀蓮さんは『美麗島』雑誌社で中心的な役割をしていまして、ほかの人々と一緒に捕まり、しばらく軟禁されていました。この美麗島事件は一見、国民党が党外活動家たちを大検挙したということで、国民党の強さを見せつけた事件のように見えますけれども、実際に台湾の政治に及ぼした影響というのはその逆でした。台湾社会では、もうここまで党外運動の勢いが大きくなっていて、国民党政権は危機に立たされているという認識が強まったと言われています。実際はこのあと、美麗島事件で不当に検挙された人々の解放を要求する世論が民主化につながっていった、台湾政治史のなかでは重要なターニングポイントだったといえます。まさに、呂秀蓮はそういった台湾政治のうねりの中心にいた女性政治家だったのです。
このときに検挙された女性運動家は、呂秀蓮だけではなく、例えば有名な女性政治家には陳菊さんという方がいます。この方は現在、台湾第二の都市である南部の高雄市で市長をなさっています。ちなみに、呂秀蓮さんや陳菊さんが軟禁されていた拘置所は台北郊外にありますけれども、現在は一般開放されています。やっぱり女性が......男性でもつらいでしょうけれど、そういうところで何年も過ごしたのだという事実は、私も実際に見学してみて、いろいろと考えさせられるところがありました。しかし、自らそういった民主化運動のなかに身を置き、活動していた女性達がいたことは事実です。