2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第9回 福田先生 6月13日 4/6
台湾:民進党女性リーダーの系譜
この時代に活動していた女性たちのなかには、自ら党外運動に飛び込んでいった人のほかに、そういった方の妻からも、後々大きな存在感を示すようになっていく人が何人か出てきました。この方たちは、当初はご自分が党外運動をやっているわけではなかったのですが、自分の夫が投獄された後、やはりこれはおかしいのではないかと考え、ご自分がそのあとの民主化の過程で開放されていく地方選挙や中央選挙に出馬し、夫の代わりに自分が政治的なポストに就こうとした女性たちです。
1980年代、呂秀蓮や陳菊は軟禁されて過ごしたわけですが、その間、少しずつ一党独裁を改めよという国民党に対する要求が高まっていきました。国民党も蒋介石が1975年に亡くなり、そのあとに息子である蒋経国が指導者の座に就くと、中央の重要なポストにも外省人だけではなくて本省人を登用していくというような形で、少しずつ政治改革を進めていきました。蔣経国は亡くなる直前に戒厳令を解除し、自分の後継者として李登輝さんを育てました。90年代にはいると李登輝総統の下、台湾の民主化は急速に進展することになります。具体的には、今まで国民党が独占してきた立法府での議席の改選を少しずつ開放していったり、もっとも象徴的な成果としては総統、副総統の選挙を民選で行うようになったり、ということがございます。そういったなかで呂秀蓮と陳菊も釈放され、重要な選挙に出馬したり、任命を受けて閣僚になったりする道を歩んでいきます。
呂秀蓮さんに関しては、1992年に立法院に当選しました。そのあと1997年には自分の地元でもある桃園県の県長になりました。そして、2000年陳水扁総統が総統に就任したときに副総統になりました。台湾の総統選挙というのは総統と副総統の候補が出て、2人で戦いますので、この時はかなり呂秀蓮さんの人気も強かったといわれています。ちなみに、この陳水扁総統と呂秀蓮前副総統の関係というのはこの美麗島事件で彼女が投獄されたときに釈放を求めていた弁護士団のなかの一人が陳水扁で、親交が続いていたというものです。陳水扁と呂秀蓮は2000年から2008年まで総統・副総統を務めました。
陳菊さんに関しては、1980年から6年服役したあと、民進党をつくるために奔走し、2000年に陳水扁政権ができたときには、閣僚級のポストに就きました。それで2006年からは高雄市長となり、2010年の選挙でも再選され、現在も高雄市長のポストに就いています。また、さきほどお話しした、党外運動家の妻たちのなかでも、台湾で初めて女性閣僚になった方、立法院をなさったあとに閣僚を歴任された方など、台湾で女性閣僚が少なかった時代にこうしたポストに就いた方は、皆さんなんらかの形で党外運動にかかわってこられた方でした。その一つの到達点が2000年に民進党が与党となった時であり、その時にこうした方のかなりの部分が重要なポストに就いています。
もう少し、呂秀蓮や陳菊たちが残したものについて、彼女たち自身のポストを超えた視点で考えてみたいと思います。そうすると、彼女たちが歩んできた道は、単に個人として優れた能力があるから政治的ポストに就いたということにはとどまらない意味を持っています。つまり、彼女たちの歩みと並行して、台湾政治における女性の参加がかなり促進され、制度化が進んでいったということが言えます。党外運動から民進党という政党が生まれ、選挙を戦って、2000年には与党になるなかで、女性参加の問題は民進党が掲げる改革の目玉の一つでした。有権者に訴えるための一つの争点だったわけです。そのため、民進党という政党は女性の政治参加という意味では、一貫して台湾政治をリードする役割を担っていたといってもいいと思います。
まず、民進党内部においては、与党となる前の1996年の時点で、選挙の候補者名簿の4分の1以上を女性にするというようなルールを作り、選挙に臨めば、有権者からの支持をさらに得られるのではないかということで、このようなルールを作りました。また、政権交代を狙う総統選挙においては呂秀蓮という女性政治家を副総統候補に指名しました。その後、2000年に民進党が与党となると、2008年までの間に台湾の政治体制全体において、女性の参加を拡大するようなさまざまな仕組みが作られました。これは、民進党が独力で達成したというよりは、おそらく台湾の社会の変化と社会からの要求に応じるかたちで民進党政権が実現したという面もあるでしょうが、やはり民進党としてもそれまで女性の権利を有権者に訴えてきた立場から、積極的に推進していったと言えると思います。簡単にみていきますと、例えば、行政部門では婦女権益促進委員会という委員会が、各省庁の委員の女性比率を3分の1以上にすべきであると、明確な数値目標を出しました。立法府では、2007年の公職選挙法改正において、2005年から導入された小選挙区比例代表並立制の比例代表部分については、各政党の候補者名簿の2分の1以上を女性にしようということを決定しました。これは法律の改正ですので、以降は民進党だけではなく、国民党などすべての政党は自党の比例代表制の候補者名簿の2分の1以上を女性にしなければならなくなりました。そして、そういった改革の成果がかなり顕著に出てきているのが台湾における現在の状況です。