2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第5回 松岡先生 6月16日 3/6
プーラン・デーヴィーの生涯
〜"盗賊の女王"の生き方からインドを見る〜
プーラン・デーヴィーですが、少女のように小柄な、150センチあるかないかぐらいの人だったそうです。彼女は貧しい村に生まれました。マッラーというカーストで、バラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯・武士階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属民階級)という「四種姓(ヴァルナ)」の一番下、シュードラに属するカーストでした。日本では、インドのカーストというとこの「四種姓」、つまりインドでは「ヴァルナ」と呼ばれるカーストの大枠を連想しますが、インドの人たちが考えるカーストは職能別の集団で、それがこの大枠である「四種姓」のどこかに位置している、というふうにとらえます。床屋さんのカーストとか、農民のカースト、お坊さんのカースト、あるいは先生というか書記のカースト、そういった職能別集団がインドの人たちにとってのカーストなんですね。
この「四種姓」のさらに下に位置する人たちは、今では「指定カースト」と呼ばれますが、以前は「アンタッチャブル/不可触民」と呼ばれていました。タッチできない、つまり触れられない人たち、常識で考えると触れられない人などいないんですが、インドのヒンドゥー教では「浄/不浄」という概念が非常に強く、触ると汚れる、というふうに考えられていた人たちです。歴史的な経緯はいろいろあるんですけれども、特に人の汚れを洗うとか、汚れたもの、ゴミを集めるとか、そういったカーストの人たちが「アンタッチャブル」と考えられていました。触ると汚れが移る、と考えられていたのです。
インドの独立運動を指導したマハートマー・ガーンディーは、それはおかしい、まず呼び名を変えよう、「ハリジャン」という呼称にしよう、と提唱しました。「ハリ」というのは「聖なる」という意味で「ジャン」は人ということで、「ハリジャン/神の子」と呼ぼうじゃないか、という提唱なんですが、呼称が変わっても差別がなくなるわけではない、ということから、独立後差別をなくすためのいろいろな運動が起きます。政府は、「あなたたちはいろんなことで差別を受けている、その差別から解放されなくてはいけないカースト、という指定をして、あなたたちが種々の優遇措置を受けられるようにしよう」と提案し、今、公には彼らは「指定カースト」と呼ばれています。指定されると、例えば大学に入る時や公務員採用時の特別枠があり、優遇措置が受けられます。ただこれは自分がアンタッチャブルである、と言わないと受けられないので、それまで例えば大都会で身を隠していた人たちが、自分の身分を明らかにしなくてはいけない。けれどもそうすると、また新たに差別を受ける、というジレンマに陥ったりしています。
この「指定カースト」という言い方もおかしいということで、今、彼ら自身は「ダリト」という呼び名を使っています。「ダリト」というのは押さえつけられた人々、抑圧された人々という意味です。こういう「四種姓」外にいる人たちもひどい差別を受けているのですが、シュードラの人たちもまた、上の3つのカーストから差別を受けています。

プーランの家のカーストはシュードラに属するマッラーですが、マッラーは船をこぐ船頭のカーストでした。チャンバル渓谷一帯は川が多い土地なので、移動は船に乗っていくのが一番簡単なため、マッラーという船頭のカーストが存在しているわけです。
とはいえ、プーランの父は船頭ではなく、農地を持たない日雇い農民でした。プーランには優しい姉もいて、弟や妹も生まれ、貧しいながらに一家は楽しく暮らしていたのですが、父の兄、つまりプーランの伯父が先祖からの財産や土地を独り占めしてしまっていました。プーランの父親は読み書きができなかったため、兄から何だか分からない書類に「お前の名前を書け」と言われ、名前は書けないから拇印を押したりしているうちに、次々と土地を取られてしまったそうです。そのためプーランの一家は非常に貧しく、父親はプーランが11歳の時に、20歳年上(13歳年上説もあり)の男プッティラールと結婚させようとします。