2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第5回 松岡先生 6月16日 6/6
プーラン・デーヴィーの生涯
〜"盗賊の女王"の生き方からインドを見る〜
この大量殺人が元で、プーランは警察から指名手配されます。その後プーランは数年間逃げ回るのですが、最終的には政府立ち会いのもと、警察に投降します。それは実は政府側との駆け引きの結果で、政府としては、あの有名な盗賊プーラン・デーヴィーを我々が投降させたということで手柄になりますし、プーラン側としても逃げ回る生活から解放されるわけです。「プーラン、お前を捕まえるけれども、8年後には釈放してやる」「じゃあ、投降してもいい」という裏取引があって、1万人もの人々が見守っている中で投降儀式が行われます。

映画『女盗賊プーラン』Part 13

この時1万人もの人が集まったのには、プーラン自身も驚いたそうです。こんなにもたくさんの人々が集まってくれて、私のために祈ってくれた、私に対して「プーラン・デーヴィー万歳!」と言ってくれた、というので彼女は感激しました。民衆にとってプーランはやはり、自分たちのヒーロー、まさに「バーギー(義賊、反逆者)」という存在だったのですね。
投降した時は8年後に釈放されるという約束だったのですが、プーランは長く刑務所に入れられていました。それを、政治家のムラーヤム・シン・ヤーダウが2度目に州首相返り咲いた時に、「プーラン・デーヴィーはどうなった?」と思い出したんですね。彼の働きかけで、投降から11年後にプーランは釈放されることになります。その後、プーランは仏教徒に改宗し、やがて国会議員に当選するのですが、2001年にニューデリーの自宅前で射殺されてしまいます。プーランを射殺した男は、「ベーフマーイー村虐殺の復讐だ」と供述したそうですが、彼女を邪魔に思った政治家の誰かが殺させたのでは、とかいろいろな噂が流れました。
プーラン・デーヴィーという女盗賊の姿に、インドの人々、特にインドの貧しい人たちは何を託していたのでしょうか。これまで見てきたように、プーラン・デーヴィーという人は「反権力」、警察や政府に対する反逆者として活躍した盗賊の女王だった。それから「反上位カースト」、上位カーストに抑圧され続けた結果、彼らに対する反発が非常に強かった。そして「反男性優位社会」、男が圧倒的に強い存在である社会に対しても、異議申し立てをした。盗賊は非合法な職業ですけれども、それを武器に男性と対等な立場で世の中に対して戦っていった。プーランのこういう面に対して、抑圧されている立場の人々は大きな共感を覚えるわけです。ですので、特にインドの貧しい人たちの間では、プーランはまさにプーラン"デーヴィー"、"デーヴィー"というのは女神という意味なんですが、女神のように敬われていました。こういう生き方が、この20世紀、21世紀であってもインドには存在する、そういう現実を皆様にも知っていただきたいと思います。
プーラン・デーヴィーに関しては、その半生が映画化されていますし、参考文献に挙げたように本もいろいろ出ています。最初に出た本が、マーラー・セーンという人の「Bandit Queen」で、日本では「プーラン・デヴィの真実」という題で訳書が出版されました。もうひとつが、英語版では「I, Phoolan Devi」という題ですが、これは元々フランス人の記者がプーラン・デーヴィーに聞き書きをしたもので、原書はフランス語です。日本ではこちらの本が最初に「女盗賊プーラン」という題で出版されました。原作が長いので、日本版も上下2巻ではありますが要約版になっています。それでもプーランの生涯がとても詳しく分かりますので、興味がおありでしたらぜひお読みになってみて下さい。