2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第3回 宮脇先生 4月25日 3/7
20世紀近代化に目覚めたモンゴル女性

写真(3)(4)宮脇淳子所蔵

写真(3)(4)これは「婦人之友」という雑誌の特集で鳥居夫妻を撮った写真で、鳥居きみ子の右に座っているのがインタビューをした磯野富士子です。彼女は渋沢栄一の曾孫で、『モンゴル革命』(中公新書)という著書もある私の大先輩です。私は大学院の頃から親しくて、2008年に89歳で亡くなる前に「大事なもの全部譲るから」ってこの写真ももらいました。
渋沢栄一の長女の歌子さんが、現行民法の起草にあたった穂積陳重氏と結婚して生まれた次男の律之助氏が富士子さんの父です。長男は穂積重遠氏で「日本家族法の父」と呼ばれており、律之助氏は伊号潜水艦の生みの親で「日本の潜水艦の父」と呼ばれています。彼女は呉で生まれました。私が知り合った頃は50歳を越えていたのに、いつも私に「本当は結婚なんかしたくなかったのに、野上弥生子さんの子供と私が同じ幼稚園で、母が野上さんに頼んで結婚させられた」と言っていました。最近知ったのですけど、その富士子さんと幼稚園の同級だった野上弥生子さんの息子の娘が長谷川三千子さんです。日本も上流階級は全部が親戚なんだな、満蒙のこと言えないな、と思います。2011年刊行の『別冊正論』16号「わが子に語りたい知られざる日本人の物語」に「世界のモンゴル学者に愛された"無冠"の才媛 磯野富士子」って私が詳しく書いています。
彼女が結婚させられたという法社会学者の磯野誠一氏は、江上波夫に誘われて、いきなり「モンゴル調査する」と言い出した。それで彼女は夫について行き、北京でモンゴル語を勉強して内モンゴルに入った。『冬のモンゴル』(中公文庫)という彼女の著書によると、零下何十度の中、幌馬車で調査に行きました。モンゴル女性の調査もしたのだけど、あとでモンゴル人が「ハトン(夫人)のモンゴル語のほうがずっと上手だった」って言ったの。でも夫は現地徴集されて、彼女は日本に戻りました。1945年8月9日にソ連が参戦して、内モンゴルにもソ連軍が入ってきたとき、磯野誠一さんは、ソ連圏に入って社会主義になった北のモンゴルを見るいい機会だと思って、北に向かって歩いたんですって。それでウランバートルに抑留されて、一時は行方不明と言われたけど帰っていらした。「おかげで両方を比較して見ることができた」と書いているんです。学者魂ですね。