2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第3回 宮脇先生 4月25日 4/7
20世紀近代化に目覚めたモンゴル女性

写真(5)宮脇淳子所蔵
 
写真(6)宮脇淳子所蔵
戦後日本人がモンゴルに行けなくなってしまったので、誠一氏はモンゴル学をやめて教育大学で社会学を教えた。ところが富士子さんはモンゴル語ができるし、元々英語はすごくよくできたので、世界婦人会議に日本代表として出て、若いキッシンジャーと友達になったりもしました。オーエン・ラティモアという、マッカーシーの赤狩りでアメリカにいづらくなって、イギリスのリーズ大学に行った有名なモンゴル学者に気に入られ、モンゴルから亡命した僧侶の回顧録を出す手伝いをして、フランスのラティモア研究所の研究員にもなりました。写真(5)この写真は、一番右が周恩来、隣がラティモア、富士子さん、ラティモアの息子です。写真(6)次の写真は、晩年の富士子さんを挟んで、モンゴル国立大学日本学科教授で私の大親友のムンフツェツェグと私です。
さて、可哀想な内モンゴルの話をしましょう。北のモンゴル国は独立国で、ソ連もなくなったので一応自由です。国連加盟国で、1987年にはアメリカと国交も結びました。日本との国交樹立は1972年ですが、アメリカは、モンゴル人民共和国をソ連の傀儡だと長い間嫌っていて、東京のモンゴル大使館や私の友人のアメリカ人モンゴル学者などの骨折りで、ようやく国交が結ばれました。モンゴル学は国際的なネットワークがあるんです。
モンゴル女性のオヨンゲレル、サランゲレルの二人は、どちらも夫が内モンゴルの独立運動の指導者だった徳王の臣下で、戦後に共産党が中国を席巻したとき脱出して、アメリカ合衆国で暮らしています。私の夫の岡田英弘が、オヨンゲレルの夫ジャクチドスチン(札奇斯欽)、サランゲレルの夫ゴンボジャブ・ハンギンと仲良くて、東京外国語大学に客員教授として招聘したので、私も親しくなりました。どちらもインテリで心優しい素晴らしい婦人たちです。
徳王は、デムチュクドンルブというモンゴル語の名前を漢字で書くと7つにもなるので、一番初めの漢字を使って、徳王(デワン)と呼びます。日本の昭和天皇陛下にも2回拝謁していますし、満洲国皇帝の溥儀さんにも会い、モンゴル王公は元々清朝の家来だったから臣下の礼を尽くして、条約も結びました。日本の軍人が中華民国から内モンゴルが自立する援助をして、徳王に飛行機を贈り軍事顧問を派遣しました。1945年の日本の敗戦後、蒋介石の配下に戻ったのですが、1949年に共産党が勝利したとき、徳王はウランバートルに逃げたんです。同じモンゴル人なんだから、と思ったのだけど、すでにスターリンと毛沢東が話をつけていました。それで、徳王の息子は日本のスパイの容疑で銃殺され、徳王は取り調べを受けたあと北京に引き渡されて監獄に入り、最後に肝臓ガンになって内モンゴルで亡くなりました。今でも内モンゴル人たちは徳王を心から尊敬しています。