2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第3回 宮脇先生 4月25日 7/7
20世紀近代化に目覚めたモンゴル女性
この前、日本政府が韓国に返してあげた「朝鮮王室儀軌」のことも、韓国はウソばかり言いました。あれは、朝鮮王朝時代の王室の儀礼を絵や文で整理した記録ですが、日本にあった1205冊もの儀軌は写本で、1922年に朝鮮総督府から日本の皇室に正式に寄贈されたんです。それを、朝鮮にあった原本を朝鮮戦争で焼いてしまったのかどうか、掠奪したのを返せと、韓国のマスコミは騒ぎましたよね。返してあげるのは構いませんけど、NHKを初め日本のマスコミは、もっと日本国民に正確な情報を知らせなければいけません。
内モンゴル人は、満洲国の興安省の人たちも、徳王が統治した地域の人たちも、ふつうの漢族に較べたらはるかに教育程度が高かった。それが中国共産党にとって目障りだったの。だから、知識階級のモンゴル人は、日本のスパイという名目でほとんど全員処刑されました。1976年まで続いた文革は、じつは内モンゴルで始まったんです、内モンゴルは、毛沢東が本拠地にした延安に近くて、毛沢東は力がなかった時代には、モンゴル人の領土を守るとお上手を言っていました。ところが、広い草原で遊牧しているモンゴル人は、すべて資産家で搾取階級だと決めつけて、モンゴル人を殺して土地を奪って、貧乏な漢人に分けたんです。だいたい共産主義というのは、地主の土地を取り上げて、みんなに分けようという運動です。モンゴル人は漢人農民から見たら地主なんですよ。遊牧するためには広い土地が必要ですから。そして、もともと毛沢東派だったウラーンフー(赤い子という名前)という内モンゴル自治区の主席まで、民族主義者と呼んで粛清しました。

写真(10)宮脇淳子所蔵
写真(10)最後になりましたが、私の親友のムンフツェツェグと、モンゴル科学アカデミー所属で数学とコンピューターが専門の夫です。寡黙ですけど、やさしい夫で、二人の息子は父親が育てたも同然と、友人たちは言っています。ムンフツェツェグは、戦後に日本語を勉強した2期生です。日本が1972年モンゴルと国交樹立した直後、「日本人の先生を派遣して下さい」とモンゴルが日本に言ってきた。昔と同じですね。それで、日本のモンゴル学者で、モンゴルに行きたい人が、順番に日本語を教えに行きました。ムンフツェツェグの日本語も素晴らしく上手で、秋篠宮ご夫妻がウランバートルを訪問されたとき、妃殿下の通訳をしました。長男は日本の大学院博士課程留学中で、次男はモンゴル国立大学日本学科を卒業して、アメリカに留学しています。ムンフツェツェグ本人は今、客員教授として、東京外国語大学でモンゴル語を教えています。