2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第4回 宮脇先生 5月9日 6/7
中国恐妻の歴史と儒教
さて朝鮮の話ですが、日清戦争は、朝鮮が清国になったら日本の安全保障上困るから戦争をしたんですね。日本が勝って、下関講和条約第一条で、清に朝鮮は独立国だと認めさせました。ところが、ロシアを初めとする三国干渉で、日本が遼東半島を清に返還させられたのを見た朝鮮の閔(びん)妃(ひ)と高宗は、なんだ、日本なんか弱いじゃないか、清も嫌いだが、日本なんかもっと嫌いだ、とロシアを頼った。これが日露戦争の原因になるわけです。
日本のお蔭で清から独立を認められた朝鮮王が、このあと韓国皇帝を名乗ります。それまで朝鮮半島には王様しかいないんです。なぜならずっと中国の家来だったから。日本の天皇は、皇帝と同格の称号で、自分を朕ということも含めて対等です。日本天皇は、近代まで中国大陸とはまったく無関係で、大陸の政権と折衝をしたのは将軍でした。将軍は、天皇が任命する武士の大将です。江戸幕府の将軍もです。だから、足利義満が中国皇帝から日本王に任命されても、平気だったわけです。王は中国文化圏では皇帝より下の位で、朝鮮王の子供は皇太子ではなく、世子と言います。
李氏朝鮮は、1割にも満たない両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級が、中人、常人、賤民を支配していた。500年間階層の移動はなく、賤民には人権はありません。両班階級は、清の家来でもいいから自分たちの特権を保持したかった。ところが、福沢諭吉が高く買っていた金玉均のような改革派は、朝鮮を日本のように民主化して近代化したかったので、親日派になったのです。
大院君は王族に生まれたけれども、王にはなれず、その息子の高宗が王になりました。大院君が摂政として政治をして、息子に自分の妻の一族から嫁を貰ったのが閔妃です。閔妃は最初は舅によく仕えていたのですが、やがて舅と政権抗争をするようになります。
写真(14)
写真(14)拙著『真実の中国史[1840-1949]』(ビジネス社)で、この閔妃の写真を使ったのですが、刊行後すぐ、これが偽物だという研究が出ました。この写真が本物ではない、ということになると、日本の政治的立場に非常に大きな影響があります。なぜなら、日本人が王宮に乱入したとき、手に手にこの写真を持って顔を確かめて王妃を殺害した、ということになっているんです。この日のため、前もって日本人写真家が宮中に入って撮った王妃の写真ということになっていたんですよ。
ところが、背景つきの同じ写真が、妓生(キーセン)や楽隊が行く写真館で撮られたものである証拠が出ました。同じ絨毯や同じ飾りのある前で、下層の人達が写った写真がいくつも残っているの。詳細は『歴史通』(ワック出版)2012年1月号をご覧下さい。さらに、イザベラ・バードというイギリス女性が閔妃に面会した記録に、「王妃はきゃしゃで、頭飾りのない平たい髪形をしていた」と書いてある。後宮って女性がたくさんいるでしょう。服を替えたら誰が王妃か絶対分かりません。王妃が女官の服を着たら逃げられるし、誰でも替え玉になれたはずなのに、王妃の顔を知っている人が襲った側にいたに違いありません。舅の大院君がもっとも怪しいです。王妃の顔を知っている人が他に誰かいますか。
大院君も閔妃も日本人を嫌いましたが、その理由は、日本が朝鮮に派遣した人達が、武士階級出身だったからです。日本では武士は尊敬されています。文武両道、自分を捨てて大義に殉じます。明治維新は下層武士階級が主力になったし、そのあとも出身を問わないで外国留学させ、優秀な業績をあげた人を華族に取りたてて、外交官にもしました。ところが儒教では、汗を流す人間、労働者は最下層なんです。武人の地位がものすごく低い。朝鮮の両班にしてみたら、日本はそれでなくても中国文明の外側で自分たちより地位が低いのに、その中でも最下層の武士が来た、と考えた。でも、日本がどうして近代化に成功したのかというと、支配階級の武士も一緒に汗かきながら石炭焚いて、一つ釜の飯を食って働いたからです。これは中国や韓国ではありえないことです。