2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第11回 土佐先生 6月27日 3/9
韓国、淑女の系譜
理解を広げていくために、儒教社会における女性というのはどんな位置にあったかの問題について簡単にお話ししますと、一つは、女性と男性というのは違う存在だという「男女有別」の原則がありました。これは男尊女卑という文脈からよく批判されますし、たしかにそういう面もありますが、ただ、今の社会の尺度でなかなか測れない部分も大きいとは思います。私の専門の文化人類学は、世界の多様な民族、文化について学ぶ学問です。世界にはいろんなタイプの社会がありますけども、例えばアマゾネスとか、男女の役割が逆転したような社会というのは、あくまで想像の産物です。現実に存在する社会の中で、女性上位が本当に実現された社会はないようです。とりわけ、価値やイデオロギーのレベルでは男性より従属的なレベルに置かれる社会が多い。人類文化の多様性を踏まえながらも、結論としては伝統社会の女性のポジションについてはそのような普遍的な傾向が見出されます。この傾向は、産業化の中でそのままでは非常に女性にとって不利な帰結になるので、近代に入っていろんな形の反省作用が起きています。
例えば、キリスト教社会は典型的なケースです。女性解放とかフェミニズムが盛んなのはキリスト教社会ですけども、元々キリスト教社会は男女平等であったかというと、全く正反対です。聖書の創世記を思い起こしていただきたいのですが、女性はアダムの肋骨から生まれました。英語で「人間(man)」とは「男」を意味し、女性(wo-man)はそこからの派生体です。女性にはそもそも自律的なポジションを与えられないという差別的な構造が見出されます。
それに比べると儒教社会は、「男女が違う」ということをいっているに過ぎません。中国の陰陽道では、男性は「陽」女性は「陰」だと位置づけられますが、これは必ずしも優劣ではありません。両者が全く平等というわけにはいきませんが、キリスト教に比べて儒教が性差別的ということではありません
この伝統は今でも生きていて、韓国の学校には男女を分けるところが多いです。最近は共学が増えてますが、男子クラスと女子クラスを分けるところとか、小学校くらいで同じクラスにする場合も、男の列と女の列をしっかり分けます。「男女有別」という考え方は、社会のいろんな場面で確認することができます。
2番目に、儒教には明らかに「男尊女卑」といえる傾向があります。女性の従属的な役割を定めるのに、「三従」という言い方をしました。「在家従父(生まれてから嫁ぐまでは父親の言うことを聞きなさい)」、「既嫁従夫(結婚したら夫の言うことを聞きなさい)」、「亡夫従子(夫が亡くなった後は息子の言うことを聞きなさい)」、合わせて三従といい、ここなんかが今日では非常に批判されるような部分ですね。
3番目に、そもそも女性というのは男性中心の社会構造の中である種のよそ者だと見なせます。来週の話につながっていく部分ですが、女性は男性の下に置かれるのみならず、そもそも場外に位置しているのです。韓国に「出嫁外人」という言葉があります。「出嫁」というのは嫁ぐということです。嫁ぐと外人になる。「外人」というのは、韓国語では部外者を意味します。いったん嫁いだらもう実家とは無関係の存在になるということです。しかし、先ほども触れましたが、嫁いでも父親から受けついだ姓は変わりません。同じ家に住んでいても、別の姓が共存するというのが韓国の家族です。ですから、嫁ぎ先でもずっと外人、部外者のままだという位置づけです。実家にも嫁ぎ先にもどっちにも帰属しない。これはある種の自由な立場でもありますが、アウトサイダーです。そういう構造的な特徴があるということです。
最後に、女性として讃えられる儒教的理想像に「烈女」が挙げられます。これは激しい女という意味ではなくて、貞節を守った女性という意味です。儒教では「二夫にまみえず」という言葉があり、死ぬまで一人の男に仕えることが称揚されます。その理想を全うした人のことを「烈女」といいます。例えば、夫が若くして亡くなっても、女性は再婚してはならないということです。さっきハサミを取り出すエピソードがありましたけども、男性に迫られた時に小刀で自害し貞節を守る女性とか、そういうのを烈女といいます。