2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第12回 土佐先生 7月04日 1/8
韓国、悪女の系譜
1.儒教的伝統と悪女
先週は淑女の系譜ということで、主に儒教的な伝統の中で正統や理想的イメージとして位置づけられてきた女性像の系譜についてお話をいたしました。とくに「良妻賢母」のイメージ、これは実は近代に入って強調された美点ですけれども、近代以前の伝統にもそのような価値観が儒教の中に色濃くありました。今日はその話の、いわば裏面です。何が正しくて何が悪なのかという時に、基本はまず儒教的伝統があります。いきなり悪女から始めるのではなくて、まず儒教的な伝統の負の面、虐げられた女性のイメージを一つの出発点にしたいと思います。
具体的には、たとえば儒教的家族制度では男の跡継ぎを残すことが至上命令ですので、それが順調にいく場合はいいですが、そうでない場合にどうなるか、というのが典型的な不幸の始まりです。『シバジ』という一本の映画がその好例となります。
これは1986年の映画で、ベネチアの映画祭で主演女優賞を受賞しました。韓国映画が国際的な賞を初めて取ったのが、この映画だといわれています。今の韓国映画というのは、あらゆる国際的な映画コンペティションの中で常連になっているぐらい、非常に高い水準の映画をたくさん作っておりますけれども、その出発点に位置づけられるかもしれません。この時期の韓国映画はまだ政府の検閲を受けていましたが、韓国の伝統を批判的に扱った作品が少なくありません。自分たちの伝統を負の遺産といいますか、「そこからわれわれは抜けださなきゃいけない」という視点から描き出す映画がたくさん作られました。
また、今の韓流とはちょっと違いますが、当時の韓国映画を好んでいた日本人の中には「コリアンエロス」という言い方で内容を決めつける傾向がありました。実は、商業主義的な計算と同時に、性の表現をめぐって権力の検閲と戦うという側面がありました。また、そうした映画の舞台として近代化以前の状況が好んで選ばれましたが、その中に描かれる伝統を見つめ直し、批判的に捉えるという視点も含まれていました。日本のほとんどのファンは、そういう背景とは関係なしに、まだ冷やかしで見ていた人たちが多かった時代です。
イム・グォンテクは韓国を代表する監督です。韓国の黒澤明とかいわれるぐらいの巨匠で、最近の韓国映画の興隆がほとんど新人によって支えられている中で、今でも映画を作り続けている数少ない古顔です。先週ご紹介した『春香伝』もこの監督の作品です。
「シバジ」の「シ」というのは種という意味で、「パジ」というのは受けることですから、直訳すると「種受け」という意味になります。あまり品のいい表現ではありませんが、男の種を受けて世継ぎを残す役割の女性を指します。要するに、正妻に子どもができない、あるいは娘しか生まれないまま妊娠不能になったような場合、息子がいないと特に名家の場合は跡継ぎが絶えてしまう大問題になります。しかし、日本のような婿養子が儒教の伝統では許されず、あくまで父系の血のつながった男の世継ぎがいるわけです。そこで出てくるのがシバジです。しかし、妊娠して世継ぎの息子が生まれたらその家を去らなければいけない。そういう伝統を非常に物悲しく描いた映画です。カン・スヨンという主演女優がシバジの役を非常に演技力豊かに演じたということで国際的な評価を受けました。
これはまさに、儒教的伝統の被害者といいますか、その中で踏みにじられる女性を描いた典型像といってよいかと思います。「こうあらねばならない」という正統が日本よりはっきりしているので、そうなれない場合のアウトサイダー的な人生というのもまた、非常にくっきりした像として浮かび上がります。そうした人生が大きな不幸を体現していることは間違いないでしょうが、面白いのは、話はそこで終わらない点です。差別の構造がはっきりしている社会では、差別されて終わるということにはどうもならない。地球上どこでも、大体そういう差別構造がはっきりした社会というのは、むしろ非常に強い人間を育てるという一面もあります。逆境を力に変えるというのが人生の面白いところですが、ここに悪女の生まれるチャンスもあります。