2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第12回 土佐先生 7月04日 8/8
韓国、悪女の系譜
昨年の講義でお話ししたことですが、韓国文化の一つの象徴的な価値として「恨(ハン)」という言葉があります。それが大ヒットを記録するような映画の中にも強力に生きているということをお話ししました。その構図というのは、差別されたり虐げられてきた人々の感情というものがまずあり、それを「解く」のは儀礼の役割だったのですけども、それが映画という表現の中でも受けつがれているわけです。男が主人公の場合は、最後は本当の復讐にまで至らなくて、どっちかというと悲劇というか悲哀で終わる傾向があります。しかし、悪女の場合は本当に権力を握り、自分が憎んでいる相手を本当に殺してしまうとか、最後までいっちゃう傾向があり、そこがちょっと違うという気がします。
ちなみに、この映画の主演女優は、人気ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主人公を演じていましたよね。イ・ヨンエという韓国を代表する女優ですけど、チャングム役はいかにもけなげで聡明な女性だったことが思い起こされます。余談ですが、韓国では悪女と淑女と両方とも演じられないと大女優にはなれないところがあるんじゃないかと思います。
こうした悪女というものを描き出す例が、今日まで韓国ではいろんなジャンルの中で見られます。それが出てくる背景というのは、二元論といいますか。儒教的な中で正統といわれている価値とそこから逸脱する価値との対立です。「烈女孝婦」とか「良妻賢母」といった正統的な価値がまずあり、ほとんどの人はそういう社会的に公認化された価値観に沿って生きていく場合が多いですが、表現としては逆に目立たないというか、サイレントマジョリティになっていくわけです。それに対して悪女のほうが圧倒的に目立つわけです。現実に割合としてはそんなに多くないはずですけど、映画とかドラマとかいった表現において圧倒的に人気のあるのはこっちです。その関係が、しかし今は大きく揺らいでいます。
実際に社会を支えている価値観としては、今でも自己犠牲とか恭順といったものがプラスの評価を受けます。しかし、そうした価値が保守的だと批判され、むしろ悪女の伝統が持ち上げられる部分も現代には見られます。たとえば、権力を追求していくとか、富を求める、よりよいものに向かって「進歩」していくというような傾向というのは、実は現代社会を支えているある種の革新的なメンタリティにつながっている部分があるわけです。
あと、何といっても美に対する意識の変化です。近代以前では、淑女の条件の中に美というのは全く入っていないんです。あるとしたらそれは内面の美であって、外面の美というものは全く入っていない。それは、完全に異端の要件であり、悪女の条件でした。それが現代社会の中では完全に転倒しています。韓国は整形天国とよくいわれるくらい、美を追求する欲望が普遍化しています。伝統社会の中では悪女の側に封印され、身分的には妓生など下の身分だけが追求する価値だった美が、若い人に大きなアピール力をもつようになったわけです。今や、政治家や実業家も含め、女性が社会的に活躍するとき美を無視することはできません。
先週お話ししたキム・ヨナや、キム・テヒという女優も、その人気の条件としてやっぱり美貌というものが欠かせません。現代女性で、国民的ヒーローであるとか、高い地位に昇っていくためには、昔だったら悪女の素質だった美女、美貌というものが非常に大きなポイントになってきています。そういう意味でも、淑女と悪女との境界があいまいになってきているといえるかと思います。少なくとも日本よりはまだ明確な境界が保たれてはいますが。