2012年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジア女性群像」

第7回 辻村先生 5月30日 3/4
預言者ムハンマドを選んだ女たち
ムハンマドはメッカで啓示を受け、周囲にその言葉を伝えようとするのですが、なかなか受け入れられませんでした。何が一番受け入れられないかといいますと、当時の部族社会では、複数の神からなる多神教が信じられていました。ウッザとかラートといった神が有名で、それらの神々を刻んだ石の彫像を祈りの対象にしていたのです。これに対して、ムハンマドが唱える宗教は、神はアッラー唯ひとり、すなわち一神教です。もちろん一神教というのは、ムハンマドが最初に作ったものではありません。ユダヤ教がそうですし、キリスト教もそうです。ムハンマドも一神教の系譜を認めていて、自分は最後の預言者として言っています。イエスも預言者ですが、ムハンマドは最後なのです。したがって、キリスト教とは一種仲間のような宗教とも言えるわけです。
イスラームの布教は、部族社会に広がっていた多神教の猛反発をくらってしまいました。もう一つは結婚についてでした。イスラーム教は非常に厳格で、神の前で結婚を誓わなければならないのですが、部族社会ではその必要はありません。彼らは「女も子供も殺して、後の気がかりをなくし、ムハンマドに抜刀して向かおうではないか」というのでした。ウフドの戦いの中でムハンマドのイスラーム軍に対抗した部族は「負ければ死あるのみ。気がかりな子供を残しておくわけにはいかぬ。勝てば妻も子供も別に手に入る」と仲間を鼓舞しました。「別に、神の前で誓った結婚じゃなくても、女たちなんてさらってくることができる」と考えられていたし、実際そうであったのです。何人もの女性たちを連れて来て身の回りに置いておくことが自由にできていたのが部族社会でした。それに対して、ムハンマドは結婚という形をとらないといけない、そして結婚したからには、妻や子供たちの面倒をみなければならないと、異を唱えたのです。長い間ハディーシャだけを妻としていたのですが、彼女の亡きあと子どもたちを養育しなければなりませんでした。けれども自分は多神教を有する他の部族の者たちと戦わなければなりません。そういう状況の中で、子どもたちの養育を任せられる女性を必要としたわけです。また、部族との戦いの中でたくさんの男たちが命を落とし、未亡人が増えました。この人たちを何とか養っていかないといけない。それで、複数の女性たちと結婚して面倒を見てやることが神の意志だ、と考えたのでしょう。これが後になると、4人まではいい、というような話になってしまったのですが、当時の状況を考えれば、未亡人の救済という点にこそ、一夫多妻の目的があったのです。
バドルの戦い、ウフドの戦い、そして、627年の塹壕の戦いと布教のための戦いは続きました。バドルの戦いというのは、メッカからマディーナに都を移すことを目的としました。これを聖戦といい、これをムハンマドは決意します。そして、メッカとマディーナの間にバドルという町があり、ここで、メッカ軍とムスリムたちの戦いが起こります。これは、勝敗がつきませんでしたので、翌年にはウフドの戦いが勃発します。それから、部族連合との戦い。こうした戦いの場にムハンマドの妻・アーイシャは同行し、共に戦いました。マディーナ拠点にイスラームの布教が進んでいくのですが、マディーナに移る2年前、イスラーム教徒たちが集まって、アカバの誓いというのを立てています。その誓いの内容をみてみますと、

・アッラーのほかに何も崇めません。
・盗みをしません。
・姦通をしません、
・子女を殺しません。
・手足の間でねつ造した嘘を言いません。
・正しいことについては、あなたにそむきません。

子女を殺しません、とあることからわかるとおり、当時、部族社会のなかで生まれたばかりの子たち、とくに女の子を殺す事が頻繁にありました。砂漠に生き埋めにするのです。それに対してイスラームは、殺すな、と命じたのです。そこには孤児として育ったムハンマドの意志だけでなく、アーイシャに代表される女性の意志もまた反映されていたのではないでしょうか。そうであればイスラーム教というのは、当時において、決して女性に厳しい、抑圧的な宗教であったとは言えないのではないかと思います。むしろ女性と子供を守る姿勢を貫いたと言えます。