2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第8回 松岡先生 6月05日 2/6
インド:地域と紛争
前回は宗教にからむ紛争の話をしましたが、今日は「地域と紛争」ということで、インド各地におこっている紛争の話をしたいと思います。
レジュメに、インドの各州とその州の公用語(Official Language)を載せました。国レベルでの公用語はヒンディー語で、補助的な公用語として英語が用いられています。なぜ旧宗主国イギリスの言語である英語が使われているかと言いますと、インドは日本の11倍くらいの広さで、28の州に分かれています。そして、ほぼ州ごとに言語が違います。それらの言語は、インド・アーリア系、ドラヴィダ系、チベット・ビルマ系、アウストロアジア系の4つの系統に分類できます。
話者が多いのはインド・アーリア系とドラヴィダ系なのですが、両方とも1億人近い話者がいる言語をいくつも含んでいます。こんな国なので、法律にしても何にしても、浸透させていくためには共通する言葉が必要なんですね。それでインド・アーリア系の言語のうち、話者が圧倒的に多いヒンディー語が国の公用語となったのですが、そうするとドラヴィダ系の人たちは反発を覚えたりします。それならむしろ、英語を使う方が反発が少ない。それで英語が補助的な公用語になっているわけです。
インドの言語は、独自の文字を持っているものも多いです。インドのお札には、裏にいろいろな言葉で金額が書いてあります。それを見てみると、様々な文字があることがわかります。ということで、インドはひとつの国として独立したのですけれども、非常に多様な民族、言語、文化、宗教を含んでいる国だということを、まず知っていただきたいと思います。
今回は、紛争の種類を対周辺国と対中央政府とに分類してみました。対周辺国紛争では、インドが国境を接しているのはパキスタン、中国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマーですが、パキスタンと中国との間で紛争を抱えています。対中央政府でも、インド内部の地域的な紛争をいくつか抱えています。こういう、内外ともにいろんな紛争の種を抱えているのがインドなんですね。
一番大きな問題となるのは、パキスタンとの間の国境紛争です。パキスタンとは、1947年の分離独立の時、お互いに殺し合うような事態になりましたし、独立後も何度か戦争をしています。特に、パキスタンとの間で未解決となっているカシミール地方を巡る紛争が、大きく影を落としています。インド側の州の名称はジャムー&カシミール州というのですが、このカシミール地方の帰属問題が今でも紛争の火種になっているわけです。
カシミールはインドの一番北の州で、パキスタンに隣接しています。この地域を、どちらの国の領土にするのかが独立前に問題になりました。カシミールの藩王、つまりマハラジャはヒンドゥー教徒でしたが、住民はヒンドゥー教徒が20%しかおらず、77%はイスラーム教徒でした。多数派はイスラーム教徒だったわけですね。 
分離独立時、イスラーム教徒が多い地域がパキスタンになる、という経緯があったわけですが、本来ならカシミールもイスラーム教徒が多いので、パキスタンに帰属するのが自然な成り行きでした。ところがそれを見越して、1947年にインドとパキスタンが独立した直後、カシミールはパキスタンのものだ、と暫定的な線引きをした国境線を超えて、パキスタン側から兵士が攻め入ってしまいます。それを見たヒンドゥー教徒の藩王は、住民の意見も聞かないまま、カシミールはインドにつくと決めてしまいます。インド政府はこれ幸いと、カシミールはインドに帰属する、と宣言してしまうのです。
ところが、イスラーム教徒の住民たちは、イスラーム教徒がこんなに多いのだからパキスタンになるべきだ、と主張します。結局、将来住民投票で決める、ということで収まったのですが、1948年にはインドとパキスタンの間で、国境線を巡り戦争になってしまいます。翌年一応停戦を見て、暫時停戦ラインが暫定的な国境になります。ただその後も、1965年に第二次インド・パキスタン戦争があったりしてインド側はじりじりと後退し、結局北部のエリアが、パキスタンが実効支配するというか、パキスタンに後押しをされたイスラーム教徒ゲリラが支配するアーザード(自由)・カシミールになってしまいます。下の地図の緑の部分です。

ウィキペディア「カシミール紛争」より
ウィキペディア「カシミール紛争」より

緑色と橙色の地域の間にある黒い点線が、インドの実効支配線(Line of Control=LOC)です。ここまではインドは実際に軍を進めて、自分たちの支配地であるとしています。ただ、インドの場合の公の言い方は、アーザード・カシミールも含んだ地域がインドの領土であるという主張です。インドの地図とパキスタンの地図では、国境線が違ってくるわけですね。1965年の戦争が終わって以降は、一時安定はしていたのですが、住民投票がいつまで経っても実施されないため、イスラーム教徒住民の不満がつのってきます。