2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第8回 松岡先生 6月05日 4/6
インド:地域と紛争
次は、中国との中印国境紛争です。

D.R.Ramachandran 'The Border War with China' "Indian Defence Review"より
地図は D.R.Ramachandran 'The Border War with China' "Indian Defence Review"より http://www.indiandefencereview.com/news/the-border-war-with-china/

インドが独立したのが1947年、中国が独立したのが1949年。両者間の国境は独立以前から問題になっていて、東部ではマクマホン・ラインという、イギリス領インドがここまでは当方の領土である、と主張した線がインド側の国境となっていました。ところが中国は、もっと南の方までが中国領土であると主張しています。またもう1箇所、カシミール州の東部に関しても中国がかなり奥まで領土であると主張しています。
両国が独立した直後は、インドと中国は友好関係にありました。ですが、1950年代に入ると、国境問題で小競り合いが起こります。とはいえ、1955年にインドネシアのバンドゥンで開催されたアジア・アフリカ会議では、中国とインドが力を合わせてリーダーシップを発揮していたりしました。
ところが中国が、チベットとウイグルを貫通するハイウェイを作ろうとしたことで、両国の関係はこじれていきます。カシミール側の方で、インドが自分たちの領土と主張するところに道路を通そうとしたことから対立が激しくなり、ついに1962年には、国境全域にわたる軍事衝突となってしまいます。
上に付けた地図は、中国軍がどの地区で攻め入って来たか、ということを示す地図です。中国軍はマクマホン・ラインを越えて、当時アッサム州と呼んでいた北東部の辺境州に攻め入り、西の戦線では、カシミールにも攻め入ります。
この後、停戦するんですが、当時インドでは、「インドと中国は以前兄弟(バーイー)だった。でも今は離反(バイバイ)してしまった」とよく言われました。ヒンディー語では、「ヒンディー・チーニー・バーイー・バーイー(インド人と中国人は互いに兄弟だ)」というのがそれまでよく使われたスローガンでしたが、中印戦争後は、「ヒンディー・チーニー・バイバイ(インド人と中国人はバイバイだ)」、つまり離反してしまった、という皮肉が言われたりしたのです。
その後1981年と82年に国境問題に関する両国会議が開かれて、暫定的な国境線などが決められてはいるんですけれども、今でも中国側の地図とインド側の地図は国境線が違っている状況です。インドのアルナーチャル・プラデーシュ州を、中国側は、ここはインドではなく中国領「南チベット」である、と主張しています。ですから、中国側の地図ではここも全部中国に入っています。
現在では両国とも経済発展をして、経済的にもライバル状態ですが、国境問題はいまだに解決しない問題として残っています。このように、パキスタンと中国という2国との間で紛争を抱えている、というのがインドの現状です。

それから、対中央政府で起きている紛争ですが、これは首都が北インドのデリーにあり、北インドの言葉ヒンディー語が国の公用語になったことから起きている反発に起因しています。これは「ヒンディー語言語帝国主義」とも呼ばれ、特に南インドのドラヴィダ系言語を州公用語とする4つの州の反発が強いです。中でもタミル・ナードゥ州は、自分たちの言語や文化を大事にしますから、ヒンディー語とそれに伴う中央政府からの押し付け、圧力、そういうものに常に抵抗しています。