2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 土佐先生 5月08日 2/9
東アジアの領土紛争
もう一つ大事な背景として、原住民社会というのは一つの民族とか国民に統合されてないということがありました。山を越えると、もう仲間でなく敵です。彼らは自分が大人になる証として、近隣部族の人々を襲って首狩りをしていました。ここだけの話じゃないんですが、植民地支配されると首狩りを禁じられるわけです。支配する側からするとそれは文明化ということですけども、彼らにとっては伝統を奪われてものすごいストレスになる。首狩りができないと、要するに大人になれないということです。イニシエーションの役割を担っていたので、首狩りを禁じられた男は男らしさを証明するものがなくなり、意気消沈してしまう。他の東南アジアとかニューギニアとかいった地域でも同じような事例が見られました。さらに、文明化といっているけれども――文明化というのは要するに日本人にするということですけれども――、だからといって日本人と全く同じようには扱われないので、差別に耐えかねて蜂起することになりました。
しかし、その反抗は他の部族からはなかなか共感が得られないわけです。むしろ、もともとお互い伝統的に反目しているので、他の部族はセデック族を征伐する側にまわるんです。近隣部族の協力も得ながら、多数の死傷者を出して何とか鎮圧するという、そういった事件でした。これは日本のあらゆる植民地の中でも突出した出来事でしたし、理蕃政策というものを見直すきっかけにつながりました。
予告編をご覧いただきましょう。



この映画は、必ずしも反日映画じゃなくて、監督やスタッフにどのぐらい人類学的な素養があるか知りませんが、首狩りを含めもともとのセデックの生活を必ずしも理想化して描いてはいません。ただ、そういう原住民の生活と植民地の勢力が出会った時に何が起きたかを淡々と描いているだけです。日本軍のリーダーが、彼らを野蛮から救って文明化してやったのに、そのお返しに我々を野蛮にした、と言い放つシーンがあります。当時、そして今も引きずっている東アジアの大きな流れとして、野蛮を文明化するというものがありますが、それを示す印象的なセリフでした。
さっき理蕃という言葉に触れましたけども、この言葉は、「理藩院」という清朝の時代にあった役所の名前にもつながっています。清朝というのはご存じのとおり、版図を広げていって異民族を取り込んでいくわけです。それにしたがって、周辺の異民族を所管する部署が必要になってできたのが、この理藩院です。
文明化していくことは無条件に正しいというか、それに従わない場合は武力を使ってでもいうことを聞かせるというのは、日本がいち早く近代化して周辺国を植民地化していく過程で明らかになっていく暴力性ですけども、それはその時初めて露呈したものじゃなくて、日本の「蝦夷征伐」も含め、むしろ歴史的に東アジアではずっと共有されてきたものではないでしょうか。今でもそうじゃないかと思います。
この映画が新しいというかおもしろいのは、そういうことも含めて歴史を客観化している点です。ですから、日本人もセデックも野蛮だったという視点が生まれます。この映画は中国ではまだ公開されてませんが、ネットでは批判する声がむしろ多いらしいです。日本人をこれだけ殺した歴史を称えるというよりは、つまり、中国的な感覚ではやっぱり野蛮な人たちを文明化するのが正しいという前提があるわけで、そこまで踏み込んで批判する視点はさすがに受け入れられない。そこは台湾が中国と違うところだと思います。