2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 土佐先生 5月08日 3/9
東アジアの領土紛争
この映画を使っていおうとしていることは、人類学の中でも論争を呼んできた問題です。『War Before Civilization』(文明以前の戦争)という本があります。一般に、国民・国家というものは戦争を好んでつくり出してきた、とくに二度にわたる世界大戦は19世紀以降の西ヨーロッパの国民・国家体制が引き起こしたものであって、史上これほど人と人が殺し合った残虐な時代はないとかいうことがよく言われます。これは、そういう通念に疑問を呈した本です。
著者のL・キーリーが人類学や考古学からいろいろな史料・証拠を検証して出した結論は、未開の生活はさほど平和的なものではないということです。むしろ現代に比べると、未開社会ではしょっちゅう戦争・戦闘ばかりしている。別の言い方をすると、国家が戦争をつくり出したわけではなく、戦争行為は国家のない社会でも非常に頻繁に見られると。
20世紀には、だいたい1億人以上が戦争で犠牲になったと推算されています。この数字は、戦闘行為で亡くなった人だけでなく、戦争がもたらした飢饉や病気による死者も含むということです。一方で、もし今の地球がセデック族のような原住民の生活様式――いわゆる部族制、族長制というもの――で組織されていたとしたら、おそらくその損失は約20倍になっていただろう、つまり20億人ぐらいが死んでいたはずだとキーリーは主張しています。
具体的な根拠として、たとえばアマゾンに住むヒバロ族は、成人になるまでに6割の男が戦闘や殺人によって命を無くすということです。アマゾンの部族が特に好戦的というわけではなくて、別の例として、ヤノマミ族はNHKのドキュメンタリーでもおなじみの人々で、どちらかというと牧歌的な生活を楽しんでいる人々というイメージがあると思うんですけども、彼らも男性が4割以上の高い死亡率を見せています。それ以外にも、ニューギニアのマエ・エンガ族やオーストラリアのヨォルング族などの例も示されていますが、いずれも男性が戦闘行為で命をなくす死亡率は2割から4割までの高い比率を見せています。それに比べれば、第1次世界大戦・第2次世界大戦に死んだ欧米人男子というのは、数パーセントに過ぎないといいます。
これをどう評価するかというのはなかなか難しいと思います。戦争とか争いごとについて考えるときに、近代が特別だとか、近代になって人間はとくに残酷になったとかいうイメージにとらわれ過ぎると、本当に人間にとって戦争とは何か、争いごととは何かという問題の本質を見損なってしまうということは一理あると思います。
もうひとつ別の通念です。戦争の話をする時によく言われることですが、争いを無くすためには交流をしよう、経済交流や文化や政治の交流や、あるいは結婚を通じた交流を深めれば争いは無くなるんじゃないかといった見方がなされます。しかし、いわゆる国家以前の人々の研究を通じて分かってくることは、残念ながらそれとは逆です。一方では交易や結婚を通じた関係をどんどん進めながら、もう一方では非常に頻繁に戦うというのが人間社会の常でした。今日の日中関係を見ていると、残念ですがこちらのほうが説得的です。
だとしたら、人間の本性とかいうことを言い出したらもう救いはないのでしょうか。それは必ずしもそうではなくて、攻撃性とか人間性というものは不変のものじゃないということです。ここで大きなポイントは、それが未開か文明かで変わるものではなくて、もっと非常に複雑な要因が関わり合っており、一つの社会がある時期には平和的に、ある時期には好戦的になるということです。
ずっと好戦的な民族とか国民がいるわけではなくて、ある条件が変われば好戦的になったり平和的になったりする。このことを検証するのにいちばんいい例は、日本人かもしれません。戦国時代に内戦に明け暮れた日本は、最後は鉄砲の保有数で世界一を誇るところまで行ったといわれています。その後、秀吉による刀狩りや「喧嘩停止令」を経て、徳川時代になって日本は平和な時代に入ります。しかし、今のアメリカのように、普通の庶民まで武装して必要とあらば戦うという時代を日本ももっていたわけです。
そして何といっても、明治維新から第2次世界大戦までの日本と戦後の日本です。これが同じ社会か民族かと思うくらい、劇的に変わったのは日本人自身がよく知っていることです。それと類似の変化は世界中、未開か文明かを問わず、どこでも見られるということです。
これがすぐ、今の中国や韓国との問題解決に役立つわけではないですが、やはりこういう視点を持つことは重要ではないかと思います。そういう「遠いまなざし」から、現代の問題を見つめ直してみたいというのが今日の趣旨です。前置きが長くなり過ぎましたが、本題にこれから入ります。

まずは、韓国との間の竹島問題です。韓国では竹島のことを独島(トクト)といいます。ちょっと前までほとんどの日本人はどこにあるのかさえ知らなかった島です。正確には、島ではなくて岩礁です。人がここに住んだことはありません。大きさもだいたい日比谷公園ぐらいのもので、それ自体としては価値の無いものです。それが今は熱い問題になっています。島自体の価値ではなくて、島がどちらに帰属するかによって排他的経済水域が変わってくることが問題なのです。とくに漁業権の問題です。今、韓国が実効支配していて、日本はそれを返せと主張しているわけですが、ちょっと前まではほとんどの日本人は興味ありませんでした。ここに利害関係があるのは島根の漁民だけです。ですから、ほとんどの日本人にとっては関係ないというのが本当のところだと思います。同じことは、韓国の側にもいえます。