2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 土佐先生 5月08日 4/9
東アジアの領土紛争
ざっと経緯を振り返りますと、1904年にここは島根県に編入されます。日本はその帰属関係を調べた上で、無人島ということで編入したわけですが、なぜそうしたかというと、当時はロシアとの対立があって、そこが戦略上の一つの拠点になるだろうという理由でした。
朝鮮は1910年に日本に併合されますけども、1905年の時点で外交権などを奪われ統監府が置かれていますから、1905年から実質的な植民地支配が始まっています。そうすると、1904年に日本に編入されるということは、韓国から見た場合、これは植民地支配の一環というか、その始まりという位置付けになります。
それで戦後になりまして、当時は韓国は李承晩が大統領を務めてましたが、いわゆる李承晩ラインを一方的に設定して竹島を占領してしまいました。それで島根の漁民が李承晩ラインの中に入ってくると銃撃したりして、何人か亡くなったこともありますし、捕らえられた人もたくさんいました。ところが、国際的にはサンフランシスコ条約では竹島の帰属については触れられずに曖昧なままになっていたので、韓国が一方的に武力で奪ったというかたち、実効支配がその時点から続いているわけです。
1965年に国交回復をしたときも、ここの帰属については棚上げする以上の解決は見出せませんでした。実体は岩礁ですから、「爆破して無くしてしまえ」という発言が日本側からも韓国側からも一部の政治家から飛び出たことが有名ですが、政治的には頭の痛い問題です。
しかし、実効支配しているのは韓国で、その後も着々と95年には埠頭を建設し、日本側としては2005年に島根が「竹島の日」を設定したくらいです。ところが去年、李明博大統領が竹島に上陸した出来事が決定的なものになりました。それまでは、私が大学で講義していても、その存在を知らない学生が圧倒的でした。去年、政治家によるパフォーマンスが火を付けるきっかけを作り、日本側でもそれに対する抗議デモが出てきたりして、急に熱くなってしまったわけです。
こういう問題は細部に立ち入れば立ち入るほどややこしくなり、中間的な見方というのはなかなか難しい。一つの好例としてご紹介したいのは、韓国人ですけども日本の大学で教えていらっしゃる玄大松という人が書いた『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)という本です。日韓の言い分を非常に厳密に研究した上で、とくにメディアがどう報じているかということを客観的に分析しています。
たとえば、1990年から2001年まで日韓のそれぞれの主要紙・全国紙――韓国の場合は9種類で、日本の場合は5種類――を比較し、その分析結果が出ています。一つの新聞紙あたり、竹島問題に触れた記事数は、だいたい平均すると、韓国紙は247件、それに対して日本は102件ですから半分以下です。しかも、一つの記事あたりの字数・分量も、韓国紙は741字ですけれども日本の新聞は487字で、これは3分の2ぐらいです。ですから、比重がまずかなり違うということです。
内容から見ても、何か事件が起きると報道するというニュース報道が日本の場合は86パーセント以上、韓国紙はそういうのは66パーセントで、3分の1はいろんな解説記事とか分析記事です。具体的には、古地図が発見されたとか文書が発見されたとか、あるいは学会・著書・論文の紹介、そういう自らの主張を裏付けようとする記事が多くて、日本側から何か主張がなされた時に反論もキチッとする。ですから、新聞だけを見ても、韓国側は、日本に比べるとずっと大きな関心と執着をもって多様な報道をしてきたということが分かります。
彼の分析によれば、竹島問題はだいたい10年周期ぐらいで燃え上がるそうです。何か特定の出来事に結びついているとは見えませんが、彼が分析したところ、1977年、86年、96年というのがそういう時期だったそうです。今、ちょうどその次の時期ぐらいでしょうか。
「マスメディアのナショナリスティックな報道は領土問題への理性的な接近を妨げる要因であるが、そのような報道姿勢はとりわけ韓国の新聞に顕著である」というのが彼の結論的な解釈です。
あとで具体例をいくつかお見せしますが、韓国では非常に感情的でナショナリスティックな姿勢というものが歴史的に成立してしまっているので、なかなか冷静な議論は難しいというのが正直なところです。それに今や、日本までもが感情的に引きずり込まれつつあるというところだと思います。
韓国がそこまで熱くなる理由というのは、先ほどもいいましたけども、これは完全に植民地支配のシンボルなんです。竹島を領土に組み込んだところから日本の植民地支配が始まっている。韓国人にとってはこれは侵略行為、韓国の主権に対する挑戦として受け止められているので、どうしても見逃すことができない。
ですから、日本の場合はあくまで、島根県に編入された1904年から問題を見ていこうとする傾向があるのに対して、韓国はそれ自体を無効にするために話をどんどん昔の方に遡る傾向があります。そうすると、昔は、そもそもああいう岩礁に対してどのぐらい領土的な執着があったのか怪しいですし、そもそもそういう問題を遡れば遡るほど客観的というよりは集団的な願望が解釈を左右することになります。そこから、独島は韓国の「固有の領土」であり、日本は領土的野心から近づいてきて奪っていったという見方が支配的になりました。