2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第6回 土佐先生 5月22日 2/7
東アジアのスポーツ・ナショナリズム:競合と相互依存のモデル
80年代に何が起きたのか一口でいうと、韓国と中国は国策として一貫してスポーツ強国を目指してきた歴史があり、その成果が現れたということです。あまり細部に分け入る時間はありませんので、大ざっぱな流れをお話ししていきたいと思います。

まずは韓国の事例です。今お話ししたように1986年のアジア大会で、日韓のスポーツの地位が逆転し、そのことを世界に決定的に印象づけたのが88年のソウルオリンピックでした。あと重要なメルクマールとしては、2002年に日韓ワールドカップ共催があり、日本もベスト16まで進出しましたが、韓国はベスト4という目覚ましい成績を残しました。こうした成果に至る過程を支えているものが、一つは政策、一つはメディアです。
まず政策の話です。1948年に大韓民国が樹立され、初代の大統領は李承晩(イ・スンマン)でした。彼自身は、実はスポーツに興味がなく、いわゆる文人意識が強い人でした。儒教的な伝統というのは、自分の体を使って動いたり働いたりすることを見下げる傾向があり、スポーツは頭のいい人がやることじゃないという偏見を引きずっていました。一方で、近代スポーツというのは、植民地主義や帝国主義と一緒に広がりますから、韓国・朝鮮の場合は、日本の植民地支配を通じて普及しました。そういう中でスポーツと軍国主義が結び付き、身体を鍛えることで軍人精神や愛国精神も身に付けるという戦前の伝統が消えずに残っていました。
また、スポーツには興味ないとしても、日本に負けるのはけしからんという勝利主義だけは前面に出す大統領でした。解放後日本と最初に国際戦を戦ったのは1954年でしたが、ワールドカップ予選のためサッカーの日韓戦を日本でやりました。その選手団を日本に送り出すとき、絶対負けてはならん、負けたら帰りに玄界灘に身を投げて死ねといったという、非常に有名な逸話があります。スポーツに勝つことは国家間の戦いに勝つのと同じだという意識が、すでにこの時期にはっきり出ています。
そういう意識を国づくりの中にもっと明確に生かしていったのが、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領です。いわゆる開発独裁体制を築いて「漢江の奇跡」を成し遂げた人で、この人の娘が今の大統領です。「体力は国力」というスローガンを掲げて、スポーツを通じた国威発揚を目指しました。東京オリンピックの成功に啓発されスポーツ選手村を設立し、メダル獲得に向けて選手を徹底的に訓練する環境を整えました。また、年金制度であるとか、メダル獲得者に対する兵役免除であるといった恩恵も準備し、政策的にスポーツエリートを養成するという制度がこの時期に始まります。
ライバルとしては日本が非常に意識されましたが、もう一方では北朝鮮との激しい対立がありました。北朝鮮に対して絶対に負けてはならないと。スポーツが単なるスポーツでなくて、「戦争」だという受け止め方が社会に浸透していきました。そういうジョージ・オーウェル的なスポーツ観を総決算したのが全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領で、「スポーツ立国」というスローガンを掲げ、朴正煕が打ち立てた政策をより具体化していくわけです。この大統領の時期にソウルオリンピックの誘致に成功しましたが、実際にオリンピックが行われた1988年は、この次の盧泰愚(ノ・テウ)大統領の時期でした。
韓国には、ボクシングとゴルフを除き、この時期までプロスポーツがありませんでした。全斗煥政権の時期に、民間から自発的にというのでなく、やりなさいと国がスポーツのプロ化を進めました。野球、サッカー、シルム(相撲)がこの時期にプロ化されます。なぜか。
軍部独裁によって民主化が抑圧されていた時期ですが、そうしたあり方を指して3S政策という言葉がよく使われました。これは、ナチのようなファシズム体制や南米の独裁政権に対して使われた言葉ですが、3つのSというのは、スポーツのS、スクリーン、つまり映画のS、そしてセックスのSです。大衆の目を気晴らしや娯楽に向けさせて、政権批判から独裁政権を守っていく手法のことを3S政策というわけです。こういう中で、スポーツというものが韓国で特別な地位を得ていくわけです。
1987年にいわゆる民主化宣言がなされ、ちょうどソウルオリンピックを大きな境にして、韓国は民主的な社会に変貌していきました。ただスポーツに関しては、ある意味で変化よりも一貫性の方が目立っています。例えば、金大中(キム・デジュン)という民主化のイコンといえる人物が大統領になり、在任中の2002年にワールドカップ日韓共催が実現しましたが、大方の予想を裏切って韓国が4強に進出したときのことです。つい興奮を抑えきれずに、「壇君以来でもっとも幸福な日」と叫んだことが海外でも報道されました。壇君(ダンクン)というのは神話上の朝鮮の建国主です。それくらい国中が興奮した瞬間でした。スポーツで勝つことは、スポーツにとどまらずに、国として自分たちが優位にあることを示す象徴的な出来事であるという国民的な合意が成立しているわけです。
ここまで韓国がスポーツ強国になったのは、どんな制度や組織があったからかといいますと、国家組織と地域組織の両方から見ることができます。国家の次元では、大韓体育会がスポーツの一元的な管理をしています。これは大韓オリンピック委員会、日本でいうJOCを含んだ組織です。各国のオリンピック委員会というのは、それぞれの国でオリンピック精神を広めて、オリンピックにかかわる活動を統合していくような組織です。韓国の場合は、それが大韓体育会というスポーツを管轄するための、より上位の国家組織に含まれているわけです。これは、とにかく国際大会で韓国が優位に立つために、あらゆることをする組織です。一言でいいますとエリート主義といいますか、エリートを養成することに非常に力を傾ける組織であり、その成果として国際大会でのいい成績もあります。