2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第6回 土佐先生 5月22日 5/7
東アジアのスポーツ・ナショナリズム:競合と相互依存のモデル
もう一度整理しておきますと、まず国が上から制度や政策によってナショナリズムを作っているという面があります。もう一方で、メディアや国民の側から、熱狂を下から作っていく、そういう下からのナショナリズムもあります。両方が合わさって、韓国らしいスポーツ・ナショナリズムの情景が生まれるわけです。なかなか他の国でここまでの例はありませんし、しかも成功しているわけです。日本なんかとてもかないません。しかも、日本に対して余計むきになる歴史があり、国民が一体化する絶好の機会になっています。
韓国の事例で最後に紹介しておきたいのは、こういう現象に韓国の内部から批判的な声、あるいは反省的な声がないかどうかということです。これが実はかなりあります。先ほど触れましたように、韓国が強いといっても一部のエリート選手だけで、一般市民は全然スポーツと関係ないじゃないかという批判は、かなり前からあります。特にスポーツ社会学の専門家などは、ほとんど例外なく批判的です。わたしは政府機関の専門家とも親交がありますが、彼らも実は一方でスポーツ社会学の学会とかに出ていて、表では政策的なことを推進しているんですが、裏ではものすごく批判的だったりします。
一例として、東亜大学チョン・ヒジュン教授の言葉を紹介しますが、そこには激越といってよいほどの自己批判があります(「体、イデオロギー、そして民族----韓国スポーツ民族主義の理解」、『韓国スポーツ社会学会 定期学術大会誌』 2010,pp. 3-18)。
要約しますと、次のような内容です。韓国がこれだけスポーツの勝利に執着するというのは、西洋や日本から手ひどくやられたことに対する、コンプレックスの裏返しに過ぎない。そういう中で韓国というのは、軍国主義的な社会といいますか勝利主義的な社会を作ってきた。国際競技を見て熱狂すると、その時だけは一体化するんだけど、じゃあ、日常的に韓国人がそんなに団結しているかというと、そういうわけでもない。むしろ、多くの西側諸国と同じように、普段の韓国人はどんどんアトム化している。その中でスポーツだけが、唯一、皆で熱狂でき、一緒になれる瞬間を提供してくれる。これはそんなに喜ばしい現象ではない。本当に豊かな社会の証拠ではないし、むしろ過去の負の遺産であるから、そこから早く脱却した方がいい。そういうことです。
別の例として、『週刊韓国』という雑誌が、先ほどご紹介したワールド・ベースボール・クラシックの時に出した「スポーツ、愛国心に火をつける」という記事があります(2009年3月30日号)。その一節をちょっと読んでみます。

「韓国の国民は、国際スポーツ大会で韓国の選手が善戦して金メダルを取ったりいい成績を上げると、これを過去の歴史的悲しみに対する補償であり、未来の国運の徴候として受け取る場合が多い。...韓国人にとってスポーツは単純な娯楽ではない。それは、国家の運命と民族の未来がかかった荘厳な殉教者の儀式だ」

大げさな表現も含まれていますが、やはり過去からの脱却を訴える文脈での言葉です。スポーツを通じてナショナリズムに火をつける習慣をもうやめた方がいいのではないか、最近では主流メディアからもそうした声を聞くことがあります。

次に中国の例をご紹介します。中国はいわゆる共産党一党独裁体制として民主化以前の段階にあり、昔の韓国といろいろな面で似ています。中国の場合もまずアジア大会を1990年に北京で主催し、それが一種の予行演習になって、2008年に北京オリンピックを成功裏に開催しました。北京オリンピックでは、金メダル獲得数が世界一になりました。国家としては韓国よりもさらに目覚ましい活躍を遂げていますが、人口当たりでいうと韓国の方が成績がいいといえます。
中国の場合は、国家組織では国家体育総局というものがあり、これがスポーツ全般を管轄している中央組織です。韓国と同じように、これもほぼエリート養成に特化している組織です。あと学校体育については教育部が管轄しています。韓国の場合は、学校体育とそれ以外の部分が統合されていますけども、中国はちょっとその点が違うということです。韓国も中国もスポーツのことを「体育」という同じ言葉で表します。なぜかについては、後でお話しします。
中国のスポーツ政策は、一つの起源はソ連です。旧ソ連の社会主義モデルを基にして、制度や組織を整えてきました。また、軍隊の存在が非常に大きく、軍隊の中に卓球とかバドミントンなどのチームがあって、そこで国家代表を養成しています。韓国も軍隊の中にサッカーチームとかがあって、男性は必ず軍隊に入らないといけないので、競技によっては軍隊の中でもちゃんとトレーニングできるようになっています。もう一つはやはり韓国と同じように学校体育が非常に重要です。中国でも、みんながやる体育の時間ではなくて、エリート養成に特化した、体育学校とか体育大学というものが複数あり、その中で集中的な訓練をしています。ですから中国もやはりエリート主義という特徴を持っていて、競技スポーツを重視しています。韓国の場合は、国民一般がするスポーツのことを生活体育と言いましたけども、中国では「群衆体育」といいます。群衆というのは大衆という意味です。

これまでの流れをざっと説明しますと、近代スポーツというのは西洋の植民地支配、帝国主義とともに伝わってきたわけです。20世紀前半までは、スポーツを楽しむこと自体が、ほとんど一部の特権階級だけのファッションに過ぎませんでした。清朝末期の頃に西側諸国から、中国のことを「東洋の病人」と見下げる言い方がなされました。こういう見方が、例えば福沢諭吉の脱亜論にもつながっています。巡り巡って、今や日本がアジアの病人といわれるような状況になってきていますが。
19世紀からずっと、中国は西欧列強に対するコンプレックスがあり、そのことは体格や体力の面でも非常に意識されました。韓国でもそうでしたが、スポーツにはそうした屈辱の歴史を見返すという意味があるということです。1949年の建国以降、中国が国際大会で活躍すると、国民が熱狂するという現象が出てきます。ただ新生中国は、最初は非常に独特な国づくりをしました。毛沢東の時代には、大躍進政策とか文化大革命みたいな方向に走り、むしろ国を閉じちゃう。スポーツの国際大会にも出ていかないし、共産主義諸国とだけ付き合う。ですから、1970年代くらいまでは、あまりスポーツ・ナショナリズムみたいなものが出てくる余地がなかったわけです。