2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第6回 土佐先生 5月22日 6/7
東アジアのスポーツ・ナショナリズム:競合と相互依存のモデル
毛沢東の言葉で、「体育を発展させ人民の体を強くする」というものがありますが、国際競技大会でいい成績を残すことを優先する発想はありません。周恩来の「友好が第1位、競争は第2位」という言葉も非常に象徴的なものです。
ところが、いわゆる開放政策にかじ切りをしていくとともに、むしろナショナリズムが出てきました。一つのきっかけは、1981年におこなわれたバレーボールの中韓戦だといわれます。中国が韓国に勝利したとき、北京の若者らが興奮して街に繰り出し、そのまま学生が街頭デモをしたということがありました。その時に「中華を振興しよう」、中国を世界に知らしめようというスローガンが出されました。その後、中国は国際社会に復帰していって、オリンピックに中国が初めて参加したのは1984年のロスアンゼルス大会からです。その時に15個の金メダルを取るという、非常に目覚ましい活躍を見せ、民族意識が高揚しました。
その延長線上に2008年の北京オリンピックがあります。開催が決まったときには、「100年の夢を実現した」という文句がメディアに踊りました。結果的にも非常に成功しました。西洋からチベット問題についての批判が出たり、環境問題に対する懸念が出たりしましたが、結果的には大成功し、金メダルの獲得数でもついに世界1位の座を占めることになりました。1980年代から軌道に乗ったスポーツ・ナショナリズムは、ここで一つのピークに達したということです。今後は、「スポーツ大国からスポーツ強国へ」という、転換の時期だというふうにいわれています。

駆け足で紹介しましたけども、中国もやはり国家主導で、集中的にスポーツエリートを養成するというやり方でやってきました。国家体育総局で国家のスポーツ政策の策定にかかわっている責任者から聞いた言葉ですが、「まだ「民族復興」の段階にあるので、群衆体育を犠牲にして、競技体育を国家主導で発展させるやり方は間違っていなかった。しかし今後は、スポーツの発展を市場や社会にゆだねる必要がある」という総括でした。
民族復興とは、清朝末期にどん底まで落ちた中国が、またよみがえることであり、今はまだその過程にあるんだという意味です。よみがえるときに、全員が同じように豊かで強くなっていけば理想ですが、それは中国の国力からして無理だ。だからまずほんの一握りの人だけを先にという、鄧小平の有名な考え方と軌を一にしています。国民一人一人の体力、健康を考えていたら、中国はいつまでたっても強くなれない。だからまずはエリートの競技スポーツを強くすること、中国は政策的にそれを選択したわけです。その結果、国民もすごく自信を得たわけだし、限られた資源で中国が発展できるとしたら、それしかなかったというわけです。
ただし問題はこれからです。ロンドンオリンピックでも金メダル獲得数2位という成績を上げましたが、国民の反応は前回ほどではなかったといいます。いつまでもこの戦略を続けていても、結局エリートが強いだけです。13億も人口がいますから、スポーツの得意な人だけを集めて、徹底的にお金や資源を注ぎ込めば、一握りのスポーツエリートを作ることはできます。それではいつまでたっても、中国全体として豊かにならないんだということは、専門家もよく分かっています。今後は、市場や社会にスポーツの発展を委ねないといけない、今はその過渡期にあるということです。もう一つ、中国は今やスポーツ強国だというけども、実はそれは夏のオリンピックに限った話です。冬のオリンピック、サッカー、野球、テニス、ゴルフなど、他のいろんな世界選手権における中国の存在感はそこまででないのは、夏期オリンピックに重点配分した結果です。そういうオリンピック至上主義から脱却する必要も指摘されています。

中国と韓国の違いとしては、報道の自由が挙げられます。だから中国のメディアが、自国の政策を正面から批判するということは、あまり見られません。しかし、そういう声は実はかなり広まっていると見ることもできます。
中国で初めてのスポーツ関連法ができたのが1995年で、まだ新しいものです。中国体育法といいますが、これの制定にかかわった責任者にインタビューしたところ、非常に批判的なことをおっしゃるんで驚かされたことがあります。この方は、中国が国家としてスポーツエリート養成に傾いていったことを、内側から知っているわけですが、自分は元々そんなつもりでなかったといいます。むしろ自分は国民の体力改善が目標だった。ところが、オリンピックが国のイメージを映し出す舞台となってしまった。でもそもそもオリンピックというのはただのゲームであって、メダル争奪を意識すべきではない。中国の場合は、一つは冷戦下の米ソ対立を背景に、オリンピックが非常に政治化されてしまった。個人的にはそういう時代はもう過ぎ去ってしまったと思っている。これからは、そういう耐え忍んで苦労して、メダルを取るという悲劇的なスポーツじゃなくて、楽しいスポーツに中国は転換すべきだ。こういうことを、非常に明確におっしゃいました。
あるいは中国でもやはりスポーツ社会学の専門家がいて、中国のスポーツの在り方に批判的な意見をいうことが少なくありません。そういう自己批判も、世界一になったという自負があるからこそですが、報道の自由が限られているとしてもそうした声が一方にあるということは押さえておくべきだと思います。