2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第10回 ジンベルグ・ヤコフ先生 6月19日 1/2
ユーラシア国家としてのロシア:果たしてロシアはアジアの一部なのか
ロシア連邦在オーストラリア大使のアレクサンドロ・ブローヒンが、ロシア独立記念日にちなんで、オーストラリア国民に向け発表したメッセージを、まずご紹介したいと思います。このメッセージは、2006年の6月10日付の、キャンベラ・タイムズ紙に掲載されたものであります。大使は、オーストラリア人のイメージでは、ロシアといえばウオッカと厳しい冬だが、ロシア人にとってオーストラリアは、面白い動物たちが住む国と前置きしました。その後、総延長6万キロになんなんとするロシアの国境のうち、1万7,000キロメートルが太平洋沿岸にあり、ロシアとオーストラリア両国は、APECおよびアジア・太平洋議員フォーラムのメンバーであり、アジア太平洋地域にしっかりと根を下ろしていると述べました。その2006年の時点で、さらにオーストラリアは、すでに東アジアのサミットのメンバーでありましたロシアも一応遅からず加盟できると期待しており、そうなれば両国は、東アジア共同体の平等な一員としての地位を、確保することができるとの立場を強調していました。
実は、東アジアサミット構想を初めて打ち出したのは、マレーシアの当時の首相であったモハマド・マハティールです。よく知られている政治家ですが、その方は1981年から2003年までの首相を務めた方です。マハティールは、当初ヨーロッパや北米の貿易ブロックに対抗する、東アジア経済グループを提唱したのでありますけれども、アメリカと日本側の反対で実現には至りませんでした。2005年12月に行われた、第一回東アジアサミットの少し前にマハティール元首相は、今度はニュージーランドやオーストラリアを、東アジアサミットに加えるのは妥当ではない、なぜならば両国とも、東アジアでもなければアジアそのものにも属していないからだと反対し、あえて参加させようと言うのなら、東アジア・オーストラリア・サミットとしてはどうかと皮肉りました。
一方ロシアについてマハティールは、ロシアは確かに東アジアに領土を持つという地理的要因はありますが、ロシアの姿勢に、この国がヨーロッパに帰属するという事実が、影響を及ぼすおそれがあるとして、これにも反対の立場を取りました。こうしたマハティールの考え方は、地域協力を考える場合、深い意味を持ってくると私は考えます。マハティールが、外交や経済政策がアメリカの国益に大きく支配される日本に不信感を抱くのはもっともであり、そして地理的な様子から判断すればアメリカの東アジアのサミットへの参加にも反対したのも、一応納得できない話ではありません。ロシアの加盟問題ですが、歴史的な背景からみればマハティールの懸念は杞憂ではありません。
実は、ロシアはヨーロッパ地域に位置する領土が3分の1強で、ウラル山脈を境に領土の大半はアジア地域にあります。きょうのテーマの核心に入る前に指摘しておきたいのは、ロシア領のヨーロッパ部分が、ヨーロッパ地域全体の実に42%を占め、その一方アジア地域のロシア領土は、アジア全体の19%を占めているという事実であります。日本も属する北東アジア地域に限定した場合のロシアの領土が、きわめて大きな割合を占めるであろうことは、いうまでもありません。
人口の78%はヨーロッパ地域に集中しています。これは、ヨーロッパの人口全体の18%にあたり、ヨーロッパに住む人の実に5人に一人はロシア国民ということになります。しかしアジア地域に住むロシア人口は、アジアの人口全体ではわずかに1%にすぎません。そしてアジア地域のロシア人口の割合は、北東アジア地域の人口と比べると、特に低いことが分ります。以上見てまいりましたように、ロシアの地理的位置づけは、「ユーラシア大陸の北東」という風に規定できると思います。人口構成から見た場合、ロシアは主にヨーロッパに属すると考えていいと思いますが、領土の地理的位置から見ますと、主としてアジアに属するといえると思います。とはいえ、日本ではロシアをアジアと考える傾向は低いと思われます。その理由は、また別に論じなければなりませんが、しかしロシアの極東連邦管区と呼ばれる行政地域とは直接国境を接しております。ロシア領土の連邦管区のうち、シベリアと極東のふたつの管区は全域が、またウラル管区は大部分がアジア地域に位置しています。注目されるのは、ソ連崩壊後のロシアでは、アジア地域が単一の組織体に属していないという点であります。
ロシアのアジア地域は、1990年代半ばに地元の有力政治家たちが、中央政権から独立したウラル共和国とか、シベリア共和国とか、極東共和国をつくろうという、大胆な構想を打ち出したことがありました。なぜそのような動きが起こったかといいますと、ソ連崩壊後の旧ソ連共和国の独立が、相次いだことにより、相互の経済的な連携が断たれて、非常に深刻な影響を、それぞれの地域に及ぼしていたという事情があります。アジア地域は、事実上ヨーロッパやアジア太平洋圏の先進国に、資源を提供する地域でしかなくなっていたのであります。今でも基本的にそのような事情は変わっていません。ここで申し上げておきたいのは、ソ連時代の1960年代の始め、ソ連でフルシチョフ体制が倒れた後、地域の共産党幹部は、しきりに中央政府に圧力をかけながら、自らの勢力を拡大していたという背景があるということです。最終的には、これがソ連の崩壊のプロセスをかなり促進することになり、1991年のソ連崩壊に至ったという点です。