2013年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第12回 ジンベルグ・ヤコフ先生 7月03日 2/3
北方領土問題の行方:ソ連邦崩壊の効果を中心に
果たしてロシア連邦は、日本をエネルギー危機から救うことができるのでしょうか。少なくとも一つの重大な理由から、それがそう簡単には進まないとわたしは考えています。エネルギー資源安全保障は、相互不信の下では成り立たないものであります。しかし、ここ数年にわたるロシア連邦政府による、北方領土問題に対する対応が、日本人の不信を強めたことが確実であります。
ソ連時代、クリル(ロシア側によると北方四島を含む)諸島問題は極めて不人気なテーマでありました。それでもソ連の歴史学者たちによって、愛国的な論調の数多くの論文が書かれています。その中でもわたしがもっと注目すべきと思うのは、1970年から1979年にかけてモスクワで出版され、部数も12万部というかなりの規模の本です。これは『島の上の州』という本で、この本は、サハリン島及び周辺の島々を最初に発見したのは、シベリアのヤクーツクからアムール川流域にやってきた、ロシアのコサック部隊だと主張しています。
クリル諸島や日本との領土問題について、ソ連時代に書かれたものが少なかったのは、いったいなぜでしょうか。この領土問題は、結局冷戦の「落とし子」であり、ましてやそこには日米軍事同盟も絡んでいたわけですから、ソ連側からすれば絶好の宣伝材料にもなり得ただろうと思われます。しかし、これをさせなかったのがまさに日米同盟でした。実は1960年代以降、ソ連の対日政策は、日米同盟の破棄と日本の中立宣言を掲げる、日本社会党の立場を第一に支持していました。そういうわけで、ソ連では日本に関するネガティブな情報は厳しく制限されました。その結果として、日本に対する好意的な雰囲気が広がり、その雰囲気は今も強く感じられますが、他方で、領土問題についての理解は深まりませんでした。クリル諸島が、ソ連国民が主に居住する地域から地理的に離れていたことも、理解の深まらなかった原因の一つであることは言うまでもありません。
1991年のソ連崩壊は、ロシア極東のアジア太平洋圏への統合を、さらに促進することになりました。それと同時に、ソ連崩壊直前に始まった、北方領土問題に関する幅広い情報公開、政治利用、価値観の多様化などにより、ロシア民族主義が高まりました。さらに、北方領土が行政単位として属しているロシア連邦サハリン州も、独自の立場で領土問題の存在を、大変強く意識するようになったことから、国内の世論に大きな反日影響を及ぼしてきました。サハリン州の立場はどういうものかといえば、経済という観点から見れば、主に漁業をめぐるものであります。ソ連が崩壊したことによって、ロシアは、漁業活動ができる海に面する領土面積が著しく縮小しています。こうしたことから、ロシアにとって重みを増してきたのが、とりわけオホーツク海の漁業資源であります。これは、日本の北方領土返還の政策にとっては、好ましくない影響を及ぼさずにはいないと考えます。
そして2011年2月1日から14日にかけて、ラバダー分析センターとして知られている組織「ユーリー・ラバダー分析センター」が、ロシア国内45地域130市町村で、18歳以上の国民、1,600人を選び、世論調査を実施しました。この調査の誤差は最大3.4パーセントで、調査では90パーセントのロシア国民が、クリル諸島のうち係争対象となっている南部、北方領土に当たる部分を、日本に引き渡すことに反対であると答えました。そしてこの数は、年々確実に増加傾向にあります。
一つ注目されるのは、この2011年の世論調査で、67パーセントが、日本に対して好意的な態度を持っていると回答したことです。実は、日本に対するロシア国民の好意的な姿勢は、ここ20年の間常に変わることがありません。1990年には、好意を感じると回答した人は80パーセントで、2002年には82パーセント、2009年には78パーセントとなっています。とはいえ、日本に否定的な考えを持つ人の数は、年々増えてきています。1990年には3パーセントだったものが、2000年には7パーセント、2005年と2008年にはもう15パーセント、つまり増加傾向を示しているのであります。
1991年のソ連崩壊以降、ロシアで北方領土問題の議論が、どのような進展をたどってきたか。それについて語る際、何よりも見落としてならないのは、以前には存在すら知らず、行動することもなかったこの問題の当事者たちが新たに登場してきた点にあると思います。サハリン州による北方領土問題をめぐる外交への介入は、係争中の領土が、サハリン州の管轄であるという事実に基づいて行われてきました。外交は依然として、中央政府が優先的に行う分野でありますけれども、地方自治体による国家間外交への介入が高まりを見せ、国際関係の本質そのものを変えようとしています。
たとえば、1956年の日ソ共同宣言が、領土問題解決のよりどころとして語られてきたことは、1990年代の期間を通して、サハリン州議会にとっての懸念となってきました。中でも最も強い衝撃を与えたのは、2001年3月イルクーツクで行われた、元プーチン大統領と日本の元森首相による首脳会談の結果でありました。それは、とりわけ当時駐日大使であったアレクサンドル・パノフとのインタビューを引いて、日本に歯舞と色丹を引き渡すことについて、合意したと報じた日本の新聞報道は、サハリン州で強い衝撃になってしまいました。3カ月後の2001年6月にサハリン州議会は、連邦政府や地方行政府の背後で、自国民から見えないところで、ロシア領土の取引が行われようとしているとの声明を発表しました。