2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第3回 青柳先生 9月29日 3/6
「命どう宝」の今昔―琉球生命観とその変貌
例えば、この最初のカーウガンという行事は、新暦の年明け三日目に集落のメンバーが先ず村境の御堂に会し、ノロ(祝女)と呼ばれる司祭の導きで祖神を祭った祭壇に礼拝し、その後いくつかの組に分かれて自分たちの命を代々支えてくださった複数の川(渓流)を拝んで回る儀式です。この特定の集落では、これが終わると、アダンという棘のある樹の枝でこしらえた「馬」に選ばれし村の若い既婚男子を乗せ、青年会の力士たちが村境から役場を据えた中央広場まで運ぶ「ドードイ」という儀式が行われます。運ぶに当ってアダンの棘で乗者の股間を刺激し、村の持続(運営や行政)を支える健康な男児が誕生することを祈るこの行事は先の先祖崇拝と共に「集落の繁栄」を象徴するものと捉えることができるでしょう。
また、集落によって実施の日取りに多少の差はあるものの、いずれも春分を基準に広く行われるシーミー(清明祭)の場合、今を生きる家族が亡くなった自分たちの祖先とお墓前で集い、命のつながりを確認する行事と見做すことができるでしょう。沖縄に亀甲墓という亀甲あるいは母胎を象ったような形のお墓が多いことはみなさんもご存知かと思いますが、この中には数世代分の亡くなった親族の遺骨が納められています。亀甲型以外にも、よりコンパクトな形をした墓が観られますが、海沿いの集落の場合は特に、墓口が「命の源」とされる海に向けられた配置になっています(こうした方位的な意義については次回のレクチャーで詳しくご紹介します)。墓の前には広間が設けられていて、シーミにはここに家族が集まって宴を催し、老いも若きも祖先とのつながりを実感するのです。
祖先との絆=リニエッジに感謝し、家族同士の絆を祝うというこの清明祭の構図はそのままお盆にも当てはまります。ただし、生者たちが亡き祖先をお墓に訪ねる春のシーミーに対し、お盆の場合は先祖の霊が生きる親族たちを訪ねて海から上がってくるという番の組様が観てとれます。そのお盆はウンケー(お迎え)に始まり、中日を経てウークイ(御送り)に終わり、始まりと終わりの部分でウサゲ(お供え)の儀が家父長を代表とする家族によって仏壇の前で執り行われます。そしてご先祖様と共に過ごす中日は「騒がず静かに過ごす」ことが常識になっています。