2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 青柳先生 12月22日 2/10
死者は海の彼方へ―ニライカナイの時空
週毎の放送で13話のシリーズ構成となった『琉神マブヤー』には古より伝わるとされる九つのマブイストーンが登場し、その中には「ウチナーグチ(島言葉の魂)」、「テーゲー(寛容さ)」、「エイサー(伝統芸能の精神)」、「チャーガンジュー(健康長寿の気力)」、「イチャリバチョーデー(友愛の心)」、「トートーメー(祖先を敬う心)」、「ヌチドゥタカラ(命を尊ぶ心)」などが含まれます。エピソードごとにマジムンがやってきてこれらのストーンのひとつを奪い取り、それが原因で人々がその特定の伝統を失った状態に落とし入れられてしまいます。これを、普段は叶(かない)という名の琉球陶芸見習いの青年が変身して現れるマブヤーが助けるという運びでドラマが展開するのです。因みに、叶君はある時マブイグミによってニライカナイから飛んできた琉神の魂をその身に宿してしまい、それ以来いざという時に琉神マブヤーに変身できるようになったそうです。より詳しくは『琉神マブヤー』公式サイト(http://www.mabuyer.com/)をご参照いただければよろしいかと思います。
少し話が長くなってしまいましたが、これらのモニュメンタルなスポットやトレンディーな特撮テレビ番組などからも、ニライカナイが今日の沖縄でよく認知された記号たり得ている様子がうかがえると思います。とはいえ、「ニライカナイ」に確固たる定義があるわけではなく、その由来に関しても諸説があり、それがどういうものかを決めつけることはなかなかできません。かといって、それはどうにでも解釈し得るファントムでは決してありません。そこが意味深く面白く、そこに民族誌的探究を進めていく価値があると思われるのです。本日はまずニライカナイの意味を測定することから話を始めてみたいと思いますが、どうぞよろしくお付き合いください。

ニライカナイのシンボリズム

日本の民俗学者のひとりで著名な地名研究家でもあり、昨年(2013年)亡くなられた谷川健一氏によると、「ニライカナイ」は「根浦」と「金浦」の合成語であり、命がそこから生じ、死して再びそこへ戻っていくとされる堅牢な場所を意味しています。このより新しい説以外にも、「二ライ」が「根の方角」を指し「カナイ」が特に意味を持たない韻であるとする伊波普猷の説があります。皆さん伊波普猷は既にご存知かも知れませんが、琉球人として東京帝国大学で民俗学と言語学を修め、明治時代に沖縄学を開墾した学者です。
現地で私が年輩の方々に尋ねてみますと「あれは<遥か彼方>を意味する言葉さね」といった応えを得ます。更に問い質していくと、それが人々の生活圏外に想定され、そこから恵み(豊穣)と禍(不幸)とがもたらされる「他界」を意味することがわかります。同時に、「遥か彼方」が必ずしも厳密な意味で「遠方の地」を指し示している訳ではなく、「自分たちには無縁な事柄」や「得体の知れない領域」、「驚異(脅威)なる異邦」あるいは「関わりたくない世界」といった意味合いを漠然と象徴していることも理解できます。喜ばしい恵みを得たとして、それが自分の知識や感性の及ばない所に起因している場合や、痛ましい状況に直面して、その具体的な要因を筋立てられない場合、ニライカナイに託して合理化や鎮魂化を図るのです。
私はこのような「不可思議性」を示すコンセプトが決して古の民俗的な世界観に限られていた訳ではなく、前回ご紹介した「ヌチドゥタカラ」のプリンシプルと同様、今日でも琉球の人々の精神的な拠り所となり、自分たちの生活世界と外界との関係性を推し量ったり、自分たちの島世界に新たな影響をもたらすものや人や価値観の良し悪しを判断したりするための指標になり続けていると解釈しています。そして民族誌の手法を用いてそうした作用の諸相を具体的に描写し、そのメカニズムとでもいいましょうか、機能の仕方等を分析していく試みを続けてきた次第です。
文化人類学においては、ある既存の文化に異質な文化が接触する際に地元の論理によって外来のものがいかに捉えられ、その過程で地元の社会構成やライフスタイルがどのように再編成されていくかに関して、例えばマーシャル・サーリンズというアメリカの学者がその著『歴史の島々(Islands of History)』(1985年刊)の中でハワイを事例に探究しています:これによると、ジェームズ・クック率いるイギリスの海洋探検隊が18世紀の後半ハワイに到達した際、ハワイではロノという「来訪神」をお迎えする「マカヒキ」という祭りが催されており、ハワイの人々はクック船長の一団をロノ神とその使いたちと見做して礼を尽くし、儀礼の道理に従って丁重に見送りました。というのも、地元の神話によれば、異邦の神であるロノを島の外=「あの世」に送り出すことは世俗の象徴王であるクーがロノに勝利することを意味し、ハワイに生きる人々の生活圏が守られることを意味していたのです。しかし帰路の途中船が故障したためクック一団はハワイに引き返し、これが地元の観点からすれば「クーがロノに未だ勝利していない危険な状態に陥ってしまった!」という風に解釈され、クック船長と乗組員らは殺害される運びになったということです。