2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 青柳先生 12月22日 4/10
死者は海の彼方へ―ニライカナイの時空
ところで、1945年4月1日にアメリカ軍の第96歩兵師団が第1及び第6海兵師団と共に本島中西部の読谷より沖縄本島に上陸して地上戦を繰り広げたことに始まる沖縄戦も、この琉球の風水信仰に準えれば、沖縄本島の西方にして、王府や県庁が置かれた那覇市から観てズバリ乾の方角から、マジムンたる米兵たちが侵さざるべき島壁を乗り越えて突入してきたという壊滅的で恐ろしい出来事だったということになります。先のサーリンズの理論に鑑みれば、ここから今日に続くような米軍統治の影響を多分に受けた沖縄の新たな歴史的進化が始まったということになる訳です。ま、この部分は私自身の過剰解釈だといわれても仕方がありませんが、ニライカナイの象徴性を明示し得るより具体的な事例を次にいくつか紹介してみたいと思います。

根来う行事、叶う出来事

1)墓地と先祖供養

ニライカナイ信仰に則して地元沖縄の人々の「現存」を象徴的に意味づける具体的なイベントや事象の中で、おそらく最もわかりやすいのがお墓に関わる時空観念でしょう。少なくとも私の沖縄体験において、墓場とそれにまつわる行事はニライカナイ信仰へのより深い理解を提供してくれました。と申しますのは、私のフィールドワークのベースキャンプとなった名護市のとある部落は、そのイメージ画像からもおわかりになるように、東側に海を臨む約230ヘクタールの土地の北面に約220世帯が暮らす住宅地=現共同体が構えられ、その西と南に一面の耕作地が広がり、ニライ門に当たる南西部に墓場が配置されています。このように見事な方位構成になっている部落の墓場において、亡き親族を祀るお墓の扉は全て海上の巽の方角に向けられています。
「お墓に扉」というとあまり馴染がない方もいらっしゃるかも知れませんが、沖縄でお墓というと「亀甲墓」といわれる形状のものが基本になります。読んで字の如く亀甲のような形をしており、「モンチュ(門仲)」と呼ばれる同姓の親族単位で成立している亀甲墓は福建省や台湾等、中国の海洋文化圏においても数多く見受けられ、命を宿す母胎を象徴したものとも、亡き親族の霊をニライの海=竜宮へと運ぶウミガメを象ったものとも解釈されています。現地ではよりコンパクトな家型の墓構えも観られますが、このより新しいタイプのお墓もその基本的な構造と配置は亀甲墓と何ら変わりません。