2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 青柳先生 12月22日 6/10
死者は海の彼方へ―ニライカナイの時空

2)ビーチの両義性

墓所に並んでニライカナイを意識させられる身近な場といえば、やはり海辺=ビーチでしょう。海なくしては存在し得ない琉球列島ですが、私がフィールドワークを実施してきた本島北部のヤンバル地域に点在する集落もまた、海に接しているか、海を見下ろす丘上に位置しております。で、村外れの海岸で潮干狩りや散歩をしている年配の方々を見かけることもしばしばありますが、機会あるごとにこの人たちと交わした会話の中で海辺の文化的な意味を問い質してみると、やはり海というものが異邦なる様々な恵みをもたらしてくれる不可思議な異世界で、海辺がそうした外界と自分たちが接触する場=いわばコンタクトゾーンになっていることが確認できます。
海岸を歩くと余所から流れ着いたと思われる色々なモノ―例えば木材の断片だったり浮だったり、ガラスのボトルだったり、実や種の類であったり、海洋生物の残骸だったり―を見つけることができます。勿論今ではビニールや発泡スチロール、あるいはプラスチック製の廃棄物もその中に多く含まれますが、かつても今も、こうした漂着物の中にはリサイクルの価値があるものも含まれており、気まぐれとはいえこうしたものを拾い集めて再利用することもしばしばある訳です。この意味で、海辺は余所からゴミがもたらされる鬼門にも、恵みがもたらされるニライ門にもなり得る「両義的な境界」として捉えることができます。
前回のレクチャーでもご紹介した旧3月のハマウイ(浜降り)の行事や旧4月に行われるハーリー大会は浜辺を舞台とする海祈りや海祭りのイベントですが、この他にも恵みをもたらすニライカナイについて意識させられる日常的な活動としてウミアッチャー(海歩き)を挙げることができるでしょう:これはイザリ(漁り)とも呼ばれ、特に夜間の引き潮時に銛を持って潮の引いた水際を歩き、海の幸(魚、蟹、エビ、蛸、烏賊の類)を狩猟する行為です。ある年配の漁師からこのスキルを授かった私は、海に出入りする折には必ずニライの方角を向いて竜宮神に敬意を表したり、獲物に恵まれた際にはその方角を拝して謝意を示したりするよう言われました。