2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 青柳先生 12月22日 7/10
死者は海の彼方へ―ニライカナイの時空
また、観光が盛んな今日の沖縄では、海辺は決まって観光客が訪れる場になっていると同時に、地元の若者や家族連れがビーチパーティーを楽しむリクリエーション空間でもあり、在来のもの(者)と外来のもの(者)とが接触するコンタクトゾーンとして間違いなく機能していることがわかります。因みに地元のインフォーマントたちによると沖縄の人は殆ど泳がず、泳いでもはしゃぎ騒ぐということはそんなにないため、ビーチで盛んに泳いだり日向ぼっこをしたり、ウォータースポーツを楽しんだりする面々が観光客であることは一目瞭然だそうです。こうした観光の影響で海辺が地元の人々の生活空間からリクリエーション広場へと構造転換し、海の手の集落がそれまでの地場産業から観光向けの商売に転じる傾向が強まる現状を「伝統的な生活の崩壊」という一種の「禍」であるとする観方もインフォーマントたちの間にある点が確認できます。

3)禍のポスト近代

さて、時間も押してきたのでその全貌を詳しくご紹介するのは無理ですが、上記のような観光関連の問題も含め、近・現代の沖縄を取り巻くいわゆる社会変動も「ニライカナイの方位性」という枠づけを用いて説明することが可能かと思われます。それは、自分たちの命を育む島世界に近代以降加えられてきた外圧とこれに由来する一連の歴史的な出来事が、地元の論理に基づいて「死の力」として捉えられ得ることを意味しています。
廃藩置県に伴う琉球処分を経て1870年代に日本に併合され、1945年の日本の敗戦以降は米政府の統治下に据え置かれ、1972年に至って日本に「復帰」した(より正しくは「復帰させられた」)琉球は、日米の政治経済的及び文化社会的な影響を強く受けながら著しいライフスタイルの変容を遂げて(遂げさせられて)きました。勿論、東アジアのハブとして前近代期から長らく続いてきた琉球には中国や東南アジア等近隣諸地域の様々なものが渡来してきた訳ですが、前近代と近代以降とで決定的に異なるのは、後者においては地元の人々=シマンチュ(島人)の自治権が殆ど無視されたまま日米の主導や抑圧の下で様々な物事が取り決められたり強制されたりし、庶民の否応なくそうした物事が自分たちの生活圏に入り込んできたという点でしょう。言葉がそのよい例になろうかと思いますが、かつて琉球各地で話されていた琉球語=島言葉が日本の統治下で日本語に画一化され、その過程で徐々に廃れていったという嘆かわしい事態が生じてきた訳です。この点で特筆すべきは1940年に施行された「方言禁止令」で、これに伴って沖縄県の各初等教育機関では「方言札」と呼ばれた木札を用いた処罰が児童たちに課せられました:即ち、島言葉を方言と見做した上で、これを話した児童に「方言札」を首から掛けさせ「恥晒し」として見せしめにし、言葉の使用を自制させるキャンペーンが全島的に展開されたのです。